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  • 【三室戸寺】近畿もまもなく梅雨入り。小雨の中、鮮やかな彩り【紫陽花】 - ものづくりとことだまの国

    西国三十三観音霊場・第十番 #三室戸寺(みむろとじ、山号は明星山)。梅雨の季節を間近にして、あじさい園の #紫陽花 が見頃 目次 三室戸寺 三室戸寺のあじさい園 文 三室戸寺 (34.8985286, 135.8163508)/京都府宇治市莵道滋賀谷21/京阪電車・宇治線・三室戸駅から徒歩15分、宇治駅から徒歩約20分。専用駐車場あり。 三室戸寺。西国三十三観音霊場・第十番札所 三室戸寺は西国三十三観音霊場・第十番札所。 御尊は千手観世音菩薩。 三室戸寺 不動水 www.zero-position.com 西国三十三観音霊場 三室戸寺のあじさい園 (三室戸寺あじさい園、6月1日(土)~7月7 日(日)、8時30分~15時40分) 三室戸寺 紫陽花 小雨がパラつく日曜日、三室戸寺(宇治市)のあじさいを見学してきました。 三室戸寺あじさい園(京都府宇治市) 雨に濡れた花と葉っぱが、活き活き

    【三室戸寺】近畿もまもなく梅雨入り。小雨の中、鮮やかな彩り【紫陽花】 - ものづくりとことだまの国
  • 【龍田古道】かつて【龍田川】と呼ばれた県境の【大和川】巨大な龍のようにうねうねと流れる - ものづくりとことだまの国

    和歌にうたわれた #龍田川 は、古代、大和と河内を結ぶ #龍田古道 に沿って流れる #大和川 のことでした。#JR大和路線 #柏原駅 から #河内堅上駅 を経由し #亀の瀬(地すべりエリア)まで歩きました 目次 和歌にうたわれた「龍田川」 龍田古道を歩く(柏原駅〜河内堅上駅付近) 文 和歌にうたわれた「龍田川」 平安時代、六歌仙(ろっかせん)に名を連ねた在原業平(ありわらのなりひら)の小倉百人一首に掲載された有名な歌。 千早(ちはや)ぶる 神代(かみよ)もきかず 龍田川(たつたがは) からくれなゐに 水くくるとは 一面の紅葉の鮮やかな紅色に染められた龍田川なんて、神代の昔でさえもそんな話は聞いたことがない! 龍田大社 和歌にうたわれた龍田川。実は、河内と大和の県境の大和川だったということを、龍田古道に足を運び、調べているうちに知りました。 古い時代、大和と河内の国境の大和川の流れを「龍田

    【龍田古道】かつて【龍田川】と呼ばれた県境の【大和川】巨大な龍のようにうねうねと流れる - ものづくりとことだまの国
  • 【松岳山古墳】石棺を挟んで立てられ、孔が彫られた謎の立石【天の磐船(アメノイワフネ)】 - ものづくりとことだまの国

    河内と大和の国境であった国分(国分、大阪府柏原市)。大和川を見下ろす南岸の丘陵地に #松岳山古墳(まつおかやまこふん、前方後円墳)。墳丘部で露出した #石棺 と南北に立てられ穴が彫られた謎の #立石 を見ることができます #天の磐船 目次 大和と河内の国境。国分 松岳山古墳(まつおかやまこふん) 石で造られた準構造船。天の磐船(アメノイワフネ)か!? 文 大和と河内の国境。国分 写真右。右端のこんもりした丘陵が松岳山古墳のある国分神社の社叢 奈良方面から 高井田駅に入る #JR大和路線#大和川親水公園 駅の向こうの丘陵に 古墳時代の #高井田横穴古墳群、#柏原市立歴史資料館 pic.twitter.com/2nhrvR61oW— 開物発事 (@Kai_Hatu) 2024年5月3日 大和川の流れと松岳山古墳の位置 松岳山古墳(まつおかやまこふん) (34.5698324, 135.645

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  • 【巣山古墳(3)】出土した準構造船は高田川水域を支配した海人集団のこん跡【喪船】 - ものづくりとことだまの国

    巣山古墳の最終回。古墳外周から #準構造船 が出土。復元された船体を広陵町文化財保存センター(土日祝日休み)で見学できます。縄文以来の丸木舟に舷側と堅板の構造物を載せた船を準構造船といいます #高田川 #葛城氏 # 武内宿禰 目次 「喪船」とされる準構造船の出土 広陵町文化財保存センターの展示 高田川と巣山古墳 文 www.zero-position.com www.zero-position.com 「喪船」とされる準構造船の出土 (1)で紹介しましたが、巣山古墳では古墳外周の北東角から準構造船の部材が出土しました。 準構造船の出土地点(北東角)から巣山古墳 広陵町文化財保存センターのパネルでは 喪船(もふね) とされています。 喪船とは棺や遺体をのせた葬送の船のこと。 巣山古墳。順構造船の出土地点と出土状況を紹介するパネル(広陵町文化財保存センター) ***** 準構造船とは、丸木舟

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  • 【津堂城山古墳(3)】大和二上山の麓。謎の時代・ヤマト創世記の点と線【水鳥の一族】【春日と鹿島】 - ものづくりとことだまの国

    前回の続き。摂津河内と大和の #阿部 を繋ぐこん跡を探して #柏原市安堂 へ向かう途中の #津堂城山古墳。親子三羽の #水鳥型埴輪 が祈ったものからうかがえる #ヤマト創世 の歴史。#海人族アド #春日 #鹿島 #安曇磯良 目次 摂津河内と大和の「阿部」を繋ぐ「安堂」 海人族・安曇(アド)の動き 被葬者は海人族・安曇(アド)の長!? 河内と大和。二上山で繋がる鹿島と春日 文 前回 www.zero-position.com 摂津河内と大和の「阿部」を繋ぐ「安堂」 大和川の河川敷を安堂(柏原市)まで歩いたのは、奈良県桜井市阿部(安倍寺跡、安倍文殊院)と阿部王子神社(旧安倍村、阿倍野区)を繋ぐ「何か」を探すため。 二つの阿部を繋ぐ「安堂」。大和川と古代河内湖の水域 阿部王子神社の由緒である阿倍権現縁記に「仁徳天皇の古墳中期、難波に都が設けられた時(第一次難波宮)に、大和桜井の阿部氏が移住し、

    【津堂城山古墳(3)】大和二上山の麓。謎の時代・ヤマト創世記の点と線【水鳥の一族】【春日と鹿島】 - ものづくりとことだまの国
  • 【二上山の大鳥】を見晴るかすところ【津堂城山古墳(1)】最大最古の水鳥型埴輪の出土地【近つ飛鳥】 - ものづくりとことだまの国

    新大和川ウォーキング中 #二上山 の雄岳と雌岳の真ん中に手前の丘(羽曳野市飛鳥)が重なる所を探していたら #津堂城山古墳 に。世界遺産 #古市古墳群中、最古級の前方後円墳で、ここからは最大最古の #水鳥型埴輪 が出土しています 目次 大鳥を正面に見る場所を探して寄り道 津堂城山古墳(つどうしろやまこふん) 二上山の大鳥を正面に見晴るかす所 「近つ飛鳥」と「遠つ飛鳥」 文 大鳥を正面に見る場所を探して寄り道 www.zero-position.com 前回、志貴皇子の万葉歌「鴨の羽交(はがい)」を紹介しましたが、 手前の丘が、二上山の雄岳と雌岳のちょうど真ん中におさまって「大鳥」のように眺望できる所はどこだろうと、ウォーキング途中でしたが、寄り道スタート。 大和二上山 津堂城山古墳(つどうしろやまこふん) 新大和川の堤防を離れ、ゆるやかな坂道を下ってゆくと、津堂城山古墳(古市古墳群)の案内

    【二上山の大鳥】を見晴るかすところ【津堂城山古墳(1)】最大最古の水鳥型埴輪の出土地【近つ飛鳥】 - ものづくりとことだまの国
  • 京都水辺の花見。蹴上インクライン〜岡崎・琵琶湖疎水〜京都御苑 - ものづくりとことだまの国

    桜のシーズンの京都の大混雑を避け #琵琶湖疎水 の水辺から #京都御苑 まで #花見 がてら歩いてきました #蹴上インクライン #京都動物園 #平安神宮大鳥居 目次 蹴上インクライン(旧傾斜線路) 京都動物園〜京セラ美術館〜平安神宮大鳥居 京都御苑(京都御所) 文 蹴上インクライン(旧傾斜線路) 花粉もスギが終わりましたが、後半のヒノキの時期に。 私の場合、黄砂と相まって、後半の方がキツく、あまり出歩かないのですが、 京都で花見をしたいという奥さんのご要望に応えて、今年は蹴上(けあげ)インクラインから、京都市内(鴨川まで)を東西に流れる琵琶湖疎水の水辺を歩くことを提案。 蹴上〜京都御苑(京都御所)〜出町柳(5〜6キロコース) 蹴上インクライン(旧傾斜鉄道)と琵琶湖疎水。左)琵琶湖方面、右)岡崎の船溜り方面 朝早くに出ましたが、すでに人混み😅…やや甘かった。 蹴上インクライン 明治期に琵

    京都水辺の花見。蹴上インクライン〜岡崎・琵琶湖疎水〜京都御苑 - ものづくりとことだまの国
  • 【鴨の羽交(はがひ)】古代の人々は山の景観に大鳥の姿を見、信仰し、時に詠む【大和二上山の景色】 - ものづくりとことだまの国

    新大和川の河川敷を #二上山 を眺めながらテクテク。大和と河内・摂津を往来する人たちの道標であるとともに、縄文時代からの信仰の山。数々の#万葉集 にも詠われました #志貴皇子 #鴨の羽交 目次 新大和川の河川敷を東へテクテク 上古からの信仰の山 志貴皇子の万葉歌「鴨の羽交」 大鳥の羽易(はがひ)の山/柿人麻呂 文 www.zero-position.com 新大和川の河川敷を東へテクテク 中臣須牟地神社(なかとみすむちじんじゃ)を参拝後、少し南に下って新大和川。 ここから柏原市安堂(奈良県境付近)まで、約10キロの河川敷をほぼ直進、ひたすら歩きます。 お日様の上る東へテクテク 上古からの信仰の山 このあたりから、大阪と奈良の県境にそびえる二上山(にじょうざん)がくっきり見え始めます。 新大和川河川敷から二上山の眺め 大阪府側から見る二上山は雄岳が左、雌岳が右で、奈良県側からの景色とは真

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  • 【中臣須牟地神社】飛鳥と住吉を繋いた官道【磯歯津道】と【中臣氏】の原点のこん跡 - ものづくりとことだまの国

    河内の古代史 を考えながら #新大和川 河川敷をウォーキング。流域周辺の神社をお参り。#中臣須牟地神社。飛鳥時代の官道 #磯歯津路 のこん跡に #藤原氏 として栄華を極めた #中臣氏 の原点がうかがえます 目次 中臣須牟地神社(なかとみすむちじんじや) 古墳時代の息長河(おきなががわ)、飛鳥時代の磯歯津路(しはつみち) 境内の様子 文 中臣須牟地神社(なかとみすむちじんじや) (34.6040215, 135.5384870)/大阪市東住吉区住道矢田2丁目9−20/近鉄南大阪線矢田駅から東に徒歩十分。駐車場はありません 中臣須牟地神社(なかとみすむちじんじゃ) 大阪の「超がつく」難読地名のひとつ。「住道」は「すんじ」と読みます。 (一方、大阪府大東市の「住道」は「すみのどう」と読みます。ご注意を😀) 住道矢田(すんじやた) 古墳〜飛鳥時代、住吉と大和の都を往来した官道 磯歯津路(しはつ

    【中臣須牟地神社】飛鳥と住吉を繋いた官道【磯歯津道】と【中臣氏】の原点のこん跡 - ものづくりとことだまの国
  • 【春の大和川】ウォーキングで極東最果てのシルクロードを歩く ( ´艸`)【柏原市安堂あたり】 - ものづくりとことだまの国

    春の堤防をウォーキング&歴史散策。大和と河内を繋ぐ古代の水路・陸路のハブ #柏原市安堂。かつて #大和川 はここで北に向かい扇状地を形成しながら現在の大阪城の東一帯の内水湖に流れ込んでいました。飛鳥~奈良時代には最果ての #シルクロード #龍田道 目次 春うらら。新大和川堤防を歩く。 わずか8ケ月で完成した新大和川の流れ 大和と河内を繋ぐハブ。安堂あたり。極東のシルクロード 文 春うらら。新大和川堤防を歩く。 三寒四温で寒暖の差が激しいこのごろですが、先週末、暖かくなってきたので、新大和川の堤防をてくてく。 大和川 堤防 江戸期(元禄年間、1700年ごろ)の古地図で説明しますと、赤いラインのコースを10数キロ歩いてきました。 大和川・付け替え工事直前の古地図(江戸時代1700年ごろ)に開物が書き込み。原図は柏原市サイトより かつて大和国から河内平野に流れ出た(旧)大和川は、安堂村(現在の

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  • 弥生時代と古墳時代が交差するところ。摂津住吉【住吉大社 正印殿跡(3)】 - ものづくりとことだまの国

    千五百年にわたり #住吉大社 神主家であった #日三家のひとつ #津守氏 の居館があったところに #アラハバキ 的な陽石(石棒)と陰石(胎内石)。住吉さんに残る子孫繁栄・五穀豊穣を祈る南北ラインと関係か。#仁徳天皇陵 目次 住吉の南北を繋ぐライン 出雲後物部。弥生時代と古墳時代が交差したところ 南北ラインと繋がる仁徳天皇陵 文 www.zero-position.com www.zero-position.com 住吉の南北を繋ぐライン 今でこそ、住吉大社は東西に第一宮から第三宮が並ぶ東西のラインで参拝しますが、 創建の古墳時代中期(西暦300年代)の地形を考えると、古代難波津の入り江「住吉の津(墨江の津)」を海上交通の権益とする一帯で、 南北ラインが主軸であったことが推測できます。 生根神社-大海神社-住吉大社-石舞台-正印殿を繋ぐライン 「地政学的」に考えて、それ以前の弥生時代

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  • 【帝塚山古墳】古代の海辺に築造された住吉の海人族 長の前方後円墳 - ものづくりとことだまの国

    大阪市の(超)高級住宅街、帝塚山(てづかやま)の閑静な住宅地の中に #帝塚山古墳。市内4ケ所の古墳史跡のうち #前方後円墳 の原型をとどめているのはここだけ。隣接していた #大帝塚山 は消失し現在は #小帝塚山 だけが残されています #大伴金村 #鷲住王 #浦島太郎 目次 大阪の高級住宅街の中に残された前方後円墳 史跡 帝塚山古墳 大帝塚山と小帝塚山 大阪の高級住宅街の中に残された前方後円墳 (34.62160952217957, 135.49675334200487/大阪市住吉区帝塚山西2丁目8−5/難波から南海高野線・帝塚山駅から西に徒歩数分。天王寺から阪堺電車(チンチン電車)上町線・帝塚山三丁目から西に約10分。駐車スペースはありません) www.zero-position.com 先日紹介した阿部王子神社から南に約2キロ。 国土地理院(標高地図)帝塚山古墳 大阪市の(超)高級

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  • 【阿倍王子神社(2)】安部清明神社に残された海人・阿部氏のこん跡 - ものづくりとことだまの国

    大阪市阿倍野区という地名の起源となった #阿部王子神社。#仁徳天皇 の古墳時代、ヤマト桜井から移住した#阿部氏 の #難波津 拠点でした。境外末社 #安部清明神社 境内には #海人族 としてのこん跡 古代船の錨 #鎮石(孕み石)が残されています 目次 古代の海岸線と熊野街道 安倍清明神社に残る海辺のこん跡 太陽と月と星を見る一族 エミシとヤマト 文 古代の海岸線と熊野街道 大阪市内の南北に走る上町台地は、古代には、東の古代河内潟と西の難波津の間に突き出した上町半島でした。 www.zero-position.com 古代上町半島のイメージ(国土地理院地図・色別標高図で作成) www.zero-position.com 前回、阿部王子神社は、仁徳天皇の時代、大和の桜井から移住してきた阿部氏の拠点(〜江戸期の安倍野村、現在の阿倍野区)のこん跡であることを紹介しました(阿部王子神社由緒、摂州東

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  • 【早春の淡路島】菜の花、鳴門のうずしお、淡路島たまねぎ - ものづくりとことだまの国

    先週末は #淡路島 に一泊二日。今年は観光と美味しいものに集中。#菜の花 #鳴門のうずしお #淡路ビーフ #淡路島たまねぎ を堪能しました 目次 菜の花の沖 鳴門の(小)うずしお 淡路島たまねぎ 淡路たまねぎづくしの1週間 文 菜の花の沖 当初夫婦で行く予定が、つい最近 傷心💔の 次男が運転手兼私の監視役として急遽同伴(笑) 昨年(同時期の伊勢旅行では)私の趣味が結構入っていてクレームが発生したことと監視付きのおかげで、今年は観光と美味しいものに集中。 この季節なら、鮮やかな菜の花畑と、その向こうに広がる瀬戸内海ですね。 司馬遼太郎さんの『菜の花の沖』の景色です。 早咲きの菜の花畑(あわじ花さじき) www.zero-position.com 鳴門の(小)うずしお 神社仏閣・史跡が無いならどーぞ、という感じで二人に旅程を組んでもらっていたのですが、 「神社仏閣史跡(遺跡)以外で行きたい

    【早春の淡路島】菜の花、鳴門のうずしお、淡路島たまねぎ - ものづくりとことだまの国
  • 神と仏を描くアーティスト【棟方志功】太陽と月をまなこに秘めたお不動さん - ものづくりとことだまの国

    先日紹介した #円空展(#あべのハルカス美術館)。見学後、美術館売店で #棟方志功 さんの版画を数点鑑賞。その中の #お不動さん と凡聖一如という文字が描かれた作品を見て気づかされたことがありました。 目次 棟方志功さん ミニ棟方志功展(笑) お不動さんの藪睨みの秘密 文 棟方志功さん www.zero-position.com 前回紹介した円空展。 自然木に刻まれた素朴で荒々しいタッチの神仏像の数々に魅了されました。 円空展の見学後、売店で見かけた円空さん関係の書籍類 作品を見学しながら、数年前に棟方志功記念館(青森市)で見学した 『志功さんの画にタッチが似ているねぇ…』と奥さんと話していました。 棟方志功作 さくらまつり ポスター(レプリカ)。弘前城公園にて www.zero-position.com 志功さんは青森市の出身で、子どもの頃は、近くの善知鳥神社(うとうじんじゃ)の境内で

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  • 【今泉 賽の河原(1)】岩木山と布袋(ほてい)さん【安倍 安東氏・考】 - ものづくりとことだまの国

    津軽 #今泉賽の河原(看板に「安倍安東氏霊場」)。入口には #十三湖 の南に見晴るかす #岩木山 を想起させる かっぷくの良い#布袋さん 像。一帯には数多くの #安倍安東氏 の史跡。津軽と大和の繋がり、そして蝦夷と云われる人々について考えてみました 目次 晩秋の十三湖とお岩木山 今泉 賽の河原 十三湖北部の安東氏と大和 文 晩秋の十三湖とお岩木山 昨年11月1日。津軽の十三湖(じゅうさんこ)。 北の中泊町、湖畔の駐車場(今泉PA)兼展望場からの景色。 渡りのコハクチョウの群れと南にお岩木山がうっすら見えます。 十三湖 北からの景色 遠くにお岩木山 今泉 賽の河原 (41.0316642, 140.4094983)/青森県北津軽郡中泊町今泉/国道339号線(鯵ヶ沢蟹田線)今泉PA 今泉PAの国道339号線を挟んで向かいに「今泉 賽の河原」の看板。 「安部 安東氏霊場」という表示も気になり、

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  • 【安芸の宮島】大鳥居の足許から拝む日の出【厳島神社(伊都岐島神社)】 - ものづくりとことだまの国

    この正月も奥さんの実家の広島。二日の早朝 #安芸の宮島 #厳島神社 に初詣。干潮で #大鳥居 の足許から #日の出 を遥拝。見上げた鳥居には「厳島神社」と「伊都岐島神社(古名)」二枚の扁額が掲げられていました。 目次 安芸の宮島 厳島神社 大鳥居 大鳥居の日の出(正月二日) 「厳島」と「伊都岐島」の扁額 文 安芸の宮島 コロナの影響が残っていた一年前と違い、今年は十倍ぐらいの人出。 フェリーの切符を買うのに行列している間に一番船が出てしまい、ふ頭で並びました。 朝日影となるこちら側の山肌は真っ闇ですが、浜辺中央の明かりのあたりに厳島神社の大鳥居があるはずです。 後背の弥山(みせん、535m)は、花崗岩質に特徴的なゴツゴツした山容。 JR宮島フェリーの渡船乗り場から宮島 www.zero-position.com 厳島神社 大鳥居 フェリーの初詣特別サービスで、大鳥居を正面に見るコースを航

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  • 【謹賀新年 2024 辰年】津軽の龍神さん - ものづくりとことだまの国

    明けましておめでとうございます🌅 新年も引き続きよろしくお願いいたします。秋の #津軽 行きでは、何体かの #龍神さん に出逢いました。#辰年 を記念して紹介いたします。#津軽龍神霊場 目次 久渡寺 龍神堂 猿賀神社 あかい堂(水天宮) 廣田神社 黒龍の神池 その他津軽の龍神さん 文 久渡寺 龍神堂 津軽三十三観音霊場・第一番の久渡寺(弘前市)。 長い石段を登って観音堂の手前に龍神堂。 久渡寺境内 龍神堂 三体の仏さまの後ろの祭壇に龍神さま。金糸の衣をまとっています。 額に「金蛇八大龍神、かなへびはちだいりゅうじん」。 右側の祠の中には金ピカのお姿の仏像二体。 久渡寺境内 龍神堂 龍神さま www.zero-position.com 猿賀神社 あかい堂(水天宮) 前回紹介した、猿賀神社(平川市)境内の鏡ヶ池畔のあかい堂(水天宮)。 「あかい」は「閼伽井」と書き、水神を祀る井戸や湧水池に

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  • 【2023 紅葉】京都東山 月待山麓 白川砂の庭園【銀閣寺】 - ものづくりとことだまの国

    前回の永観堂から東山を北に少し足を運んで #銀閣寺(東山慈照寺)。見ごろの #紅葉。#白川砂 #銀沙灘(ぎんしゃだん)#向月台(こうげつだい) 目次 東山月待山麓 慈照寺 銀閣寺 銀閣寺 銀沙灘(ぎんしゃだん)と向月台(こうげつだい) 紅葉と銀閣寺 文 東山月待山麓 慈照寺 銀閣寺 銀閣寺。上層は潮音閣。下層は心空殿 室町幕府八代将軍・足利義政の引退(文明5年、1473)にあわせて建設が始まった「東山殿」が起源。 義政の祖父の第三代将軍・義満が建てた北山殿(後の鹿苑寺 金閣寺)と並び、銀閣寺と称せられるようになりました。 銀閣寺 銀沙灘(ぎんしゃだん)と向月台(こうげつだい) 東山の大文字山一帯で産出する 白川砂(風化花崗岩) で盛られた、堂前の銀沙灘(ぎんしゃだん)と向月台(こうげつだい) (後者は三角の砂盛の頂点をカットした形。写真向こうに見えます) いずれも中世の創建時ではなく、

    【2023 紅葉】京都東山 月待山麓 白川砂の庭園【銀閣寺】 - ものづくりとことだまの国
  • 【アワシマサマ(後編)】巨大な男女一対の信仰のこん跡。古いアラハバキ的な死生観 - ものづくりとことだまの国

    中山山脈(#梵珠山脈)の #アワシマサマ と #胎内くぐり岩 は古くて巨大な#男女一対の信仰のこん跡。蝦夷と大和が対峙する中、文化や信仰が対立し、また、融合した歴史を垣間見ることができるのも #津軽 の魅力です 目次 転び地蔵、転じて、うなり地蔵 【よく似た話】山から転げ落ちた男石のお話(明日香) 男女一対の信仰(胎内潜り岩とアワシマサマ) 文 【アワシマサマ(前編)】 www.zero-position.com 転び地蔵、転じて、うなり地蔵 陸奥の伝説(森山泰太郎) 前回記事で、山中の巨大陽石・アワシマサマの紹介文(青森県における生殖器崇拝資料)の中に「…地蔵が転げ落ちた際に、うなり声をあげたという伝説がある。」とありましたが、 青森市の古屋さんで入手した『陸奥の伝説(森山泰太郎 編著)昭和51年』には「うなり地蔵(p139)」として紹介されていました。 五所川原市前田野目(まいだの

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