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現代形而上学と哲学史の出会いと展開:松田毅編著『部分と全体の哲学: 歴史と現在』(春秋社、2014年) : ページからページへ
松田毅編著『部分と全体の哲学: 歴史と現在』 春秋社2014-11-22 決して読みやすい論考ばかりではないの... 松田毅編著『部分と全体の哲学: 歴史と現在』 春秋社2014-11-22 決して読みやすい論考ばかりではないのだが、面白くて一気読みしてしまった。全体-部分論をテーマに、現代の存在論におけるメレオロジーと、その哲学史的源泉を概観するアンソロジー。第一部が哲学史的背景、第二部が現代のメレオロジーに関する哲学的議論、第三部にメレオロジーの論理学的考察がおさめられている。 第一部では、アリストテレス、トマス、ライプニッツ、そしてフッサールの全体部分論がそれぞれ紹介されている。特に、魂(心的能力)が実体の部分としてとらえられるかどうかが、議論の的になっているようだった。個人的には、加藤雅人「中世とトマス・アクィナス」で紹介されていた問題が大変示唆的だった。「人間は動物の部分である」と「動物は人間の部分である」をそれぞれ違った意味での全体部分関係とトマスはとらえるようである。前者は、普遍的全体の基体
2016/10/10 リンク