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朴先生からのご質問に答えるシリーズ 「宗教の本領」とは何か? - 内田樹の研究室
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朴先生からのご質問に答えるシリーズ 「宗教の本領」とは何か? - 内田樹の研究室
第三番目の質問です。去年刊行された『日本宗教のクセ』で釈先生が、「まえがき」で書かれた一節がずっ... 第三番目の質問です。去年刊行された『日本宗教のクセ』で釈先生が、「まえがき」で書かれた一節がずっと気になっています。釈先生は「まえかき」でこう書かれています。 「 内田先生と宗教話をしていると、また少し宗教の本領に近づいた気になる。」 内田先生にとって、「宗教の本領」ってなんだと思われますか。 さあ、困ったなあ。「宗教の本領」って、釈先生が言われたことですよね。釈先生が何を考えて「こんな言葉」を口にされたのか、それを釈先生に代わって内田がお答えしてよいものでしょうか。でも、質問されたので、僕の考えを申し上げます。 僕の理解する宗教的知性とは、「超越」や「他者」や「外部」など、要するに自分の手持ちの知的なフレームワークには包摂できないものに立ち向かい、その対面がもたらす緊張を通じて、自己刷新を遂げようとする知性のことです。 これまでにも同じことを何度か書きましたけれど、僕は「連続的な自己刷新