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考察:生物の世界は快楽に満ちている(はずだ) - ネギ式
植物には快楽がある(はずだ) たとえ苦痛がなくても。 植物は動けないのだから、苦痛があっても危険か... 植物には快楽がある(はずだ) たとえ苦痛がなくても。 植物は動けないのだから、苦痛があっても危険から逃れることはできない。進化的に苦痛のような感覚が発達する理由がない。 一方、植物も水分や光を求めて成長する方向を変えることができる。これは水分や光が快楽であり、快楽を求めて成長する方向を変えていると考えることができる。苦痛と違ってこの快楽は進化的に発達する可能性がある。いや、それは快楽じゃないという意見はもっともである。まったくそのとおりである。しかし、それが快楽でないなら、ひとのいう植物の苦痛もまた苦痛ではない。断然違う。 原核生物も食糧となる物質を感知するとそれを取り込むために細胞を変形させる。これもまた快楽を感じていると考えられる。 生物は危険から逃れる手段よりも先に、栄養を取得する手段が発達したのであり、それはつまり苦痛よりも先に快楽があったということを示している。栄養取得の方が危険
2021/12/03 リンク