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『安土城の紹介10 「信長の館」から安土城郭資料館 最終回』
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『安土城の紹介10 「信長の館」から安土城郭資料館 最終回』
昨日の続きで、今日は安土城紹介の最終回です。 「信長の館」が裏にある安土マリエートと言われるところ... 昨日の続きで、今日は安土城紹介の最終回です。 「信長の館」が裏にある安土マリエートと言われるところです。下地図現在地の所です。 ここから歩いて安土城郭資料館へ行きました。 現地にある案内図です。信長の館③からピンクの線に沿って 安土城郭資料館②まで行きました。 途中で安土山(目加田山)が見えました。 もとは目加田山といい、目加田氏の居館があった所です。 八木郷の庄官として赴任した藤原某の後裔とする、庄官 藤原氏は在地支配者として、代々勢力をたくわえ次第に 武士化、鎌倉時代の中ごろに目加田山を拓いて館を構え、 目加田氏を称したと伝えられる。しかし、目加田氏の正確 な系図は伝わっていないため、その発祥に関しては不明 です。永禄十一年、尾張の織田信長が足利義昭を奉じて 上洛軍を起こした。信長は六角承禎に協力を要請したが、 承禎はこれを拒絶したため、信長軍の攻撃を受けて観音寺 城は陥落し六角氏は没