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美濃加茂市のポスターが批判されているのは肌色の割合のせいではない
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美濃加茂市のポスターが批判されているのは肌色の割合のせいではない
すべてはコンテキスト(文脈)の問題である。 肌色の割合が問題なのだったら、世の中にあふれる3次元の... すべてはコンテキスト(文脈)の問題である。 肌色の割合が問題なのだったら、世の中にあふれる3次元の水着グラビアも同じように批判しなければならない。 (もちろんそれも環境型セクハラという問題はあるのだが今は置いておく) そちらは批判されずに、美濃加茂市のポスターが批判されているのはなぜか。 「アニメやオタクが差別されている」からではない。 文脈が足らないのだ。 たとえば、肌色の割合が最大に近いと思われる力士はなぜ受け入れられているのか。なぜハレンチとならないのか。 長い間、日本人はそれを見慣れ、文化として受け入れているからだ。 裸婦画・裸婦像などが受け入れられているのも、ハイカルチャーとしての地位を確立しているからだ。 3次元の水着グラビアが受け入れられているのも、世の中にあふれることで日本人が慣れてしまったからだ。 一方、アニメはまだ市民権を獲得しつつある途上といったところだろう。 ネット