エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
北条早雲(伊勢宗瑞)は、どうして最初の戦国大名になったのか?
北条早雲は伊豆や相模(神奈川県)に独立した勢力を築いた、史上初の戦国大名です。 元々は室町幕府に仕... 北条早雲は伊豆や相模(神奈川県)に独立した勢力を築いた、史上初の戦国大名です。 元々は室町幕府に仕える役人でしたが、駿河の守護大名・今川氏の後継者争いに介入し、功績を立てて一城を与えられました。 以後は中央に戻ることなく、甥の今川氏親を補佐しつつ、伊豆や相模に侵攻し、独自の勢力圏を構築していきます。 そして領民の生活を重視する新しい統治体制を構築し、武家政治のあり方に大きな影響を及ぼしました。 この文章では、早雲はどうして最初の戦国大名になったのか、について書いてみます。 【北条早雲の肖像画】 伊勢氏の一族に生まれる早雲の生年については2説あり、1432年か、もしくは1456年の生まれだとされています。 室町幕府で代々、政所(まんどころ)の執事を務めていた伊勢氏の出身で、伊勢盛時というのが最初の名前です。 政所は、土地の所有権をめぐる訴訟を扱う役所で、地権者の連合政権である室町幕府にとって
2017/08/08 リンク