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12月8日の開戦を国民学校の国語教科書はどう書いていたか、神武天皇没後2600年?や横浜事件名誉回復とも関連 - つれづれなるままに心痛むあれこれ
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12月8日の開戦を国民学校の国語教科書はどう書いていたか、神武天皇没後2600年?や横浜事件名誉回復とも関連 - つれづれなるままに心痛むあれこれ
敗戦までの「国民学校」の国語教科書は「12月8日」の対米英開戦について、一つの教材として独立させて載... 敗戦までの「国民学校」の国語教科書は「12月8日」の対米英開戦について、一つの教材として独立させて載せている。その教科書は、「初等科国語(六)」(五年生後期用)で「九」番目の教材「十二月八日」である。 この教科書は、天皇の神聖とその天皇の支配する日本の国体に対する狂信度、狂妄度を強化する教材であったといえる。以下に内容を紹介しよう。 「昭和十六年のこの日こそ、われわれ日本人が、永久に忘れることのできない日である。この朝、私は、ラジオのいつもと違った声を聞いた。さうして『帝国陸海軍は、本八日未明、西太平洋において、米英軍と戦闘状態に入れり。』といふ臨時の知らせを聞いて、はっとした。私は、学校へ急ぎながらも、胸は大波のやうにゆれてゐた。勇ましいやうな、ほこらしいやうな、それでゐて、底の底には、何か不安な気持ちがあることを知って、『いつ、米英の飛行機が飛んで来るかも知れないのに、こんなことでどう