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生前の呼び名は「厩戸王」だったろうと説いた誠実な研究者:小倉豊文(1) - 聖徳太子研究の最前線
津田左右吉に続いて、聖徳太子の事蹟を疑った学者は、小倉豊文(おぐら・とよふみ) (1899-1996) です... 津田左右吉に続いて、聖徳太子の事蹟を疑った学者は、小倉豊文(おぐら・とよふみ) (1899-1996) です。 千葉に生まれ、兵隊になるのが嫌で千葉県師範学校に入った小倉は、以後、広島高等師範学校・広島文理科大学で学び、旧制姫路高校教授、広島文理科大学の助教授等を歴任、戦後には同大学が改組した広島大学文学部及び大学院で教授を務めました。研究の対象は、精神的な悩みを抱えていた際に「世間虚仮、唯仏是真」の語に出会い、心惹かれて調べ始めた聖徳太子と、現代の菩薩と思われた宮沢賢治でした。 この間、終戦直前の昭和20年6月には、出版が決まっていて原稿用紙3300枚以上あった『聖徳太子信仰の歴史的研究』の原稿、写真集『聖徳太子--像及び絵伝--』の300枚を超えていた原稿すべてが、空襲による火災で焼けてしまったうえ、8月には広島原爆によって妻を亡くし、自らも被爆します。 津田左右吉の疑義には共感しつつ
2012/11/25 リンク