エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント5件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
田中正造と足尾銅山鉱毒事件って無事に解決した?閉山は昭和48年
大正2年(1913年)9月4日、足尾銅山鉱毒事件を告発した田中正造(しょうぞう)が73歳で亡くなりました。... 大正2年(1913年)9月4日、足尾銅山鉱毒事件を告発した田中正造(しょうぞう)が73歳で亡くなりました。 社会科の教科書で公害の話になると必ず出てくるので、うっすら覚えている方もいらっしゃるかもしれません。 あるいは板垣退助さんと区別がつきにくくなっている方もいらっしゃいますかね? 田中正造はもともと政治家でした。 が、当初の議会でこの事件について訴えてもまるで効果がなかったため、最終手段を取ります。 畏れ多くも「直訴」です。 現在の栃木県日光市にあった足尾銅山その前に、発端となった足尾銅山鉱毒事件について見ておきましょう。 足尾銅山というのは、現在の栃木県日光市にあった鉱山です。 発見されたのは江戸時代前期の1610年。 幕府直轄の銅山として、ここで取れた銅から寛永通宝などの通貨が作られたこともありました。 しかし、幕末あたりから採掘量がガタ落ちしたため、一時開店休業状態に陥ります。
2013/09/03 リンク