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十二世紀南九州の覇者「阿多忠景」について
元木泰雄編「保元・平治の乱と平氏の栄華 (中世の人物 京・鎌倉の時代編 第一巻)」で十二世紀に薩摩を中... 元木泰雄編「保元・平治の乱と平氏の栄華 (中世の人物 京・鎌倉の時代編 第一巻)」で十二世紀に薩摩を中心に南九州一帯を支配した阿多忠景について詳しく書かれていて、名前はうっすら聞いたことがあるけど・・・程度の認識だったこともあって同書の『栗林文夫「阿多忠景と源為朝――その伝説と実像」』から簡単に紹介。 阿多忠景(生没年不詳)は桓武平氏の流れをくむ薩摩平氏の一流で十二世紀初頭から1160年頃にかけて、薩摩一国を自身の直接統治下に置き、さらに彼に従う豪族たちを通じて大隅・日向も傘下におき南九州三カ国を支配したという南九州の覇者である。また、保元物語にある九州の惣追捕史を自称し源為義に追われて九州に下ってきた源為朝に娘を嫁がせてその後ろ盾となった「アワノ平四郎忠景」と同一人物と考えられ、琉球まで影響力を及ぼしていたと言われていることもあり、後の為朝征琉伝説にも影響があったという。 彼が本拠地とし
2015/03/24 リンク