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日本によって作られた数多の防空壕を「文化的オアシス」に変えた台湾の街 | そこは「生の空間であり、死の空間でもある」
防空壕と地下道のラビリンス 台湾北部の山に囲まれた港湾都市、基隆(キールン)。ここを訪れる人々は当... 防空壕と地下道のラビリンス 台湾北部の山に囲まれた港湾都市、基隆(キールン)。ここを訪れる人々は当然、シー・フイフゥアの朝食屋の後ろにある白い壁をただの壁だと思うだろう。唯一、壁にいくつかある空気穴だけが、反対側に何かあるのかもしれないことを予見させる。 「これは防空壕です」と、朝の混雑を待ち構えるシー(53)は言う。「ここは生の空間であり、死の空間でもあります」 基隆が最初に外国から攻撃を受けたのは、1642年にオランダが攻めてきたときだった。シーがいる通りも、基隆の他の通りも、その景観は防御のために形作られている。 家々の台所は地下通路に繋がり、それは砂岩の防空壕へと通じている。路地の突き当たりにある錆びた門は、戦争の記憶や、ときにはゴミやコウモリでいっぱいの、いまにも飲み込まれそうな暗い空間に通じていたり、祭壇やレストランの離れに繋がっていたりする。 人口36万人のこの街には、700
2022/11/21 リンク