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「見せばやな 雄島の海人の 袖だにも」 殷富門院大輔 和歌の上手として多くの歌が勅撰和歌集に選ばれた - 安心感の研究 by 暖淡堂
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「見せばやな 雄島の海人の 袖だにも」 殷富門院大輔 和歌の上手として多くの歌が勅撰和歌集に選ばれた - 安心感の研究 by 暖淡堂
百人一首第90番目の歌の作者は殷富門院大輔いんぷもんいんのたいふです。 歌人仲間からは「千首大輔」と... 百人一首第90番目の歌の作者は殷富門院大輔いんぷもんいんのたいふです。 歌人仲間からは「千首大輔」とあだ名されるほどの多作の人だったようです。 今回は殷富門院大輔について紹介します。 殷富門院大輔とは 生年が1130年頃、没年が1200年頃。 藤原氏北家の一人、藤原信成の娘です。 後白河院皇女の殷富門院に出仕しました。 鴨長明からは和歌の上手の一人に挙げられ、またとても多作だったことから、和歌仲間からは「千首大輔」とあだ名されるほどでした。 藤原定家、西行らとも交流があり、当時の歌壇の中心にいた人だったようです。 作った歌は多くの勅撰和歌集に選ばれています。 新古今和歌集に10首、新勅撰和歌集に15首など。 また私家集「殷富門院大輔集」も残されており、その作品に触れることができます。 百人一首に選ばれている歌、私の袖は、私が流した涙で、海に潜って漁をする海人の袖よりも濡れて、色が変わってし