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猫
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不安に過ごした夜が明けました。 父母の会話で、大体の事情は分かりましたが、はっきりと聞いたのはその日の夜のことでした。 そのとき、どのように感じたのかは覚えていません。 ただ、うまく説明のできない無力感があったように思います。 【沙河】昭和五一年~昭和五二年 (十六)③ 朝食を食べていると、父と母が小声で話していた。 「きっと、川に行ったんだろうって」 「下の子も、一緒らしい」 そんなことをいっていた。 教室での朝の会に、西森先生は少し遅れて来た。 何か心配事があるような顔をしていた。それでも先生は普段通りに授業を始めた。 朝はとても寒かった。通学路の脇の雑草が、霜で白くなっていた。それが、帰る頃にはすっかり暖かくなっていた。 私は、帰り道、灌漑溝の橋のところでふと立ち止まった。 道路脇の草むらが、風で揺れた。 風がクルクルと渦巻いて、そのまま空に昇って行った。 父が、いつもより少し遅く帰
2017年12月ミュンヘンのホテルから 2017年は、一人で海外をうろつくことが多かった。 どれも仕事の出張で出掛けていたが、好んで一人切りで歩き回っていた。 会社の現地拠点の人々と打ち合わせをしたり、特許関連の現地事務所を訪問したりした。 少しの英語と、わずかばかりの度胸と、抑えきれない好奇心で動いていた時期でもあった。 出かけると、ホテルで一人きり、静かに過ごす時間がとても好きだった。 街中で買ってきた現地のビールとパンやスナックを友に、のんびりとしているのだ。 ヨーロッパでは、大概の街で、中華料理のテイクアウトができる。 日曜日でなければ、食事に困ることはほとんどない。 そして、現地語で話し続けるテレビを観るのも楽しみだった。 日本のアニメが、現地後に吹き替えされて放送されていた。 キャラクターの声が違うと、まったく別物に感じられるのが不思議だった。 この年、12月下旬にミュンヘンを
軽い朝 いつもより眠れた 身体がゆったりと よくのびてい 今日はこのまま 眠っているように 過ごそうか 軽く あそこまで行ける そんな気がする ああ、雪が 降っていたのか それで こんなに 軽いのか ***** 記憶とは、頭のどこかに記録されているものではなく、いつもずっと考え続けているものだと思うことがあります。 考える部分が小さいだけで、いつもそれを考えているので、覚えている。 だから、それを大きくすることで、思い出すことができるということで。 忘れてしまうというのは、いつもずっと考え続けているということをしなくなったこと。 それを、もう考えることをやめてしまったということ。 そうすると、もう思い出すこともできない。 そんなものが、増えている気がしています。 雪の処方箋 (暖淡堂書房) 作者:暖淡堂 Amazon 腐朽船群 (暖淡堂書房) 作者:暖淡堂 暖淡堂書房 Amazon dan
近所の大人たちが夜遅くまで、外で何かを探しているようでした。 呼びかけるような声が、寝ている僕にもずっと聞こえていました。 なにが起こっていたのかは知らされていませんでした。 いつもと違う、とても不安な夜でした。 【沙河】昭和五一年~昭和五二年 (十六)② それからは沢井さんと一緒に帰ることはなかった。 小学校に入学してから、一度も同じクラスになったことがないので、学校では遊んだこともなかった。時々は、帰り道で、僕のずっと前を歩いているのを見ることもあった。だけど沢井さんは僕には気づかず、僕も追いついて話しかけることもなかった。 その年は、秋が来ると、急に気温が下がった。時々、霜が降りるくらいに寒くなった。居間ではストーブを点けることも時々あった。 夜、電話が鳴った。 母が電話に出て、少し話をしていた。それから父にかわった。 私と妹はテレビを観ていた。少し前に妹が拾ってきた子猫が、居間を走
こんにちは、暖淡堂です。 出向までの期間、色々と準備が必要で、落ち着かない日々を過ごしております。 出向後は原則毎日出社なので、時間の制約がきつくなります。 まあ、それでも、それなりに諸々続けていこうと思っています。 金曜日ですね。 渡り鳥のような気分で、とらわれることなく、生きていきたいなあと思っています。 新田一郎さん、スペクトラムの「リーダー」だったかな。 ギターの西さんとツインボーカルで、迫力のある演奏を楽しませてくれていました。 「渡り鳥 はぐれ鳥」は新田一郎さんのソロアルバムから。 LPレコードで持っていました。 名曲が多かったのですが、今回は、動画の見つかったこの曲を紹介します。 週末のひととき、この曲でホッと一息つきましょう。 www.youtube.com *☺☺☺☺☺* KOTOBUKI 新田一郎・三番 (生産限定紙ジャケット仕様) アーティスト:新田一郎 Vivid
鬼役とも呼ばれる将軍家毒見役矢背蔵人介は、非番の日、町中を散策していて、商家甲州屋の店先で赤子を拾ってしまう。矢背家でその赤子を育て始めるが、ある日、その子の母であるという若い女が訪れる。その女の話から、甲州屋の金を狙った町方与力と同心の陰謀が浮かび上がる。「子捨て成敗」 矢背蔵人介の子鐵太郎が剣術道場に通い始めるが、書院番組頭の息子やその取り巻きの子らに執拗ないじめをうける。その鐵太郎をかばってくれた人は、鐵太郎に自分と同じ才能があることを見抜き、「算術本「塵劫記」を手渡す。しかし、その人は、書院番組頭毒殺未遂の濡れ衣を着せられ、殺されてしまう。鐵太郎は刀を手に取り、仇を討とうと書院番組頭の屋敷に向かうが、逆に囚われてしまう。 事情を知った矢背蔵人介は、鐵太郎を救うべく、数十人の書院番士らが待ち構える屋敷に向かう。「算額の誓い」 * 「矜持」を主題にした短編3作が収められています。どれも
こんにちは、暖淡堂です。 ブログを複数運営しています。 アメブロでは2サイト作っていて、思い出したようにポツリポツリと記事を更新しています。 アメブロははてなと同じように、ユーザーが特に何をしなくてもSEO的に強いと感じられます。 放置状態でも、一定数のアクセスがあります。 で、そんなアメブロに3年ほど前にアップした記事が以下になります。 この記事ですが、コンスタントに一定数のアクセスがあります。 それも、なんとなく国会期間中であったり、国政選挙の時期だったりすると、アクセス数が増えます。 関心を持ってもらえるのでしょうね。 ameblo.jp 一部引用します。 指導者が指導者としての振る舞いを正しくなさなければ、それに仕えている人たちは、やるべき役目を果たさなくなる。(略) 上に立つものが、人々に正しい行いを示し、尊敬されるということが無くなれば、それを見ている人たちの行いは乱れたものに
灯 雪、の夢をみた 少年は膝を抱えて 窓際にうずくまっていた そこが一番暗いことを知っていたから 少年の祖母は ストーブの上で 干し芋を焙っていた 猫は丸くなって寝ていた 外は吹雪いている 父も母もまだ帰らない * 目覚めると、まだ雨が降っていた * ああ、あの家に、灯がともる頃だ ***** 自分の暮らしは、長く長く続く旅のようなものだと思うことがあります。 旅立ったところに、もう戻ることのない。 自分が生まれ落ちたところから、南に進んだ距離、北に進んだ距離、東に進んだ距離、西に進んだ距離、それぞれ、かなりの値になると思いますが、それらを全部ベクトルで足し合わせると、結局は、生まれ落ちた場所から、今いるところまでまっすぐに伸びた一本のベクトルになってしまうわけで。 このベクトルの長さをゼロにするのが当面の夢の一つではあります。 つまりは、生まれ落ちたところに戻る。 いつのことになるでしょ
百人一首第91番目の歌の作者は後京極摂政前太政大臣ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじんです。 関白九条兼実の子で、藤原忠通の孫にあたります。 今回は後京極摂政前太政大臣について紹介します。 後京極摂政前太政大臣とは 後京極摂政前太政大臣とは藤原良経のこと。 生年が1169年、没年が1206年。 祖父の藤原忠通は百人一首第76番目の歌の作者ですね。 保元の乱の中心人物でした。 dantandho.hatenadiary.com 藤原良経は政界で活躍しながらも、和歌や漢詩などの文学に通じていました。 自らも優れた和歌を残しています。 そして、当時の文学界の有力なパトロンで、百人一首の選者の藤原定家も、その支援を受けた一人でした。 百人一首に選ばれた歌は、当時の藤原良経自身の経験を文学作品に昇華させたもの。 この歌が作られる少し前に、自身の妻を亡くしています。 その寂しさを、ただ嘆くだ
「死霊狩り(ゾンビー・ハンター)」巻末の作品一覧 こんにちは、暖淡堂です。 中学生の頃から高校生くらいまでの間、平井和正さんの作品を好んで読んでいました。 ハヤカワの「狼男(ウルフガイ)」シリーズにはハマっていました。 平井さんの作品で、角川でも刊行されていたものは、その多くを読んでいました。 当時購入していた本は、実家の引越しの時に処分されてしまって、今手元にはどれもありません。 絶版になっているものが多く、ほとんど再入手が不可能な状態です。 数年前にたまたま古書で見つけた「死霊狩り(ゾンビー・ハンター)」全3巻は、宝物として長く残しておきたいと思っています。 で、この本を眺めていて、とても懐かしいな、と思ったのが、巻末の作品一覧。 この「死霊狩り(ゾンビー・ハンター)」の少し後から「幻魔大戦」の一連の作品が発表されました。 「幻魔大戦」もずっと読み続けていたのですが、途中で息切れしてし
こんにちは、暖淡堂です。 伊豆下田への家族旅行2日目の午前中。 泊まっていたホテルから見えていた海岸に降りてみました。 人はほとんどいなく、家族連れが我が家の他に1組だけ。 それも砂浜で少しだけキャッチボールをした後に引き上げていきました。 それからは、砂浜にいるのは我が家の3人だけ。 とても贅沢に、のんびりと過ごせました。 僕と娘は、ゆっくりと写真を撮りながら歩き、堤防の先端までいきました。 湾の外側にも綺麗な海が広がっていました。 内側はずっと白い砂浜。 夏に来たら、気持ちがいいだろうなと思います。 もう何年も海には入っていません。 そういえば、直近で海に入ったのは、小樽の海。 娘は小学生で、義父母もまだ元気で。 ずいぶんと昔のことですね。 妻はスケッチをしていました。 自分たちが泊まったホテルや、海岸の景色を描いていました。 いつかまとまった作品になるのかな。 ホテルに10時頃までい
シラチャのサッカー場 2010年8月下旬。 北海道帰省から僕だけ先にシラチャに戻っていた。 数日遅れて妻と娘が戻ってきた。 娘は、残りわずかの夏休みで、読書感想文を書き始めていた。 それに妻はつききりでサポートをしていた。 読書感想文の課題図書は、帰国した時に購入。 それを読むところから始めていた。 この頃、家族で暮らしていたサービスアパート(ホテル)のフロントで、日本で放送されているTV番組や映画のDVDが借りられることがわかって、それを時々部屋で観るようになっていた。 日本のTV放送は数局観ることができたが、画像が悪かったので、このDVDはよく借りることになった。 今思えば、著作権の処理などをどうしていたのか、かなり怪しい部分はあるが。 パタヤのセントラルの中にCDショップがあって、そこでDVDも売られていた。 この頃買ったのが、「カールじいさんと空飛ぶ家(邦題)」。 タイにいた頃は問
小学生の頃の、一番悲しい出来事です。 今でも時々思い出したりします。 のんびりとした田舎でしたが、事件といってもいいようなことも起こりました。 【沙河】昭和五一年~昭和五二年 (十六)① 通学に使っていた道路は、車がほとんど走っていなかった。私は、縦笛を吹いたり、本を読んだりしながら歩いて帰った。 ある日の放課後、川田君や西森君と学校の玄関で別れた後、家への道を一人で歩いていた。稲穂が実り、風に揺れて乾いた音を立てていた。風は頬に冷たく感じられた。 灌漑溝に架けられた鉄筋コンクリート製の橋の手前で、沢井さんと会った。学年が同じで、家も近かったが、普段はあまり話さない。 僕は本を読みながら歩いていたので、近づくまで沢井さんに気がつかなかった。 「本が好きなんだ」 私はその時、学校の図書室で借りた児童用のサイエンスフィクションを読んでいた。 シリーズ本で、私はそれを全巻繰り返し読んでいた。どれ
家慶がついに将軍となり、家斉は退位して大御所となった。 ある日、将軍毒見役(鬼役)の矢背蔵人介の家を使者が訪れる。 矢背家の居候、望月宗次郎を将軍家の影として召し抱えたいというのだ。 確かに、家慶の子である宗次郎は、影として適任であった。 家慶は将軍になると、父家斉が成し得なかった「日光社参」を行う。 莫大な費用と人員の動員を伴う社参は大事業であり、これを行うことで家慶は父家斉に将軍としての威光を示し、政治から手を引いてもらいたいのだ。 しかし、家斉はそれを激しく憎み、命をも奪おうとする。 家慶の日光社参を、刺客の一群が追う。 鬼役矢背蔵人介と影望月宗次郎は、家慶を守り切ることができるか。 * 前の巻までに矢背蔵人介の知己となった人々が登場し、鬼役を助けます。 皆、胸のすくような活躍を見せます。 本巻にはもう一人、影としての佐平が登場します。 佐平は、本巻の主人公とも言ってよいかもしれませ
こんにちは、暖淡堂です。 伊豆下田の宿に着いて、食事前に僕は温泉とビールを先に済ませました。 で、食事して、妻と娘はそれから温泉。 僕はビール2回戦。 で、テレビを観た後、早めに寝ました。 運転で疲れていたので。 寝る前に、妻が「朝日が見たい」と言っていたので、目覚ましをセットしました。 で、起きて、妻に声をかけて、窓から外を眺めていました。 そこに、ゆっくりと朝日が上ってきました。 空が明るくなってから、太陽が見え始めるまではずいぶんと待ったのですが、上り始めると早いですね。 数分で太陽の全体が見えました。 空が晴れて、良い天気の1日になりそうでした。 この後、もう一度温泉に入ってから朝食。 朝食はバイキングでした。 海の幸がたくさん並んでいたのですが、僕たちがレストランに行ったのが遅かったので、無くなっているものも多かったようです。 それでも十分に満足できる朝食でした。 チェックアウト
こんにちは、暖淡堂です。 曇りの予報だった日曜日、空が明るくなってきたので、妻と二人で散策に出かけました。 途中、桜をいろんなところで目にしました。 大体は、満開の一歩手前の感じでしたね。 やっと暖かくなって、のんびりとお散歩をするのにちょうどよい季節になりました。 土地にはアップダウンがあって、それなりに運動になります。 小汗をかくくらいですね。 年齢的には、ちょうどいい運動になりました。 2024年4月7日の桜1 2024年4月7日の桜2 *☺☺☺☺☺* 地図で読み解く小田急沿線 (地図で読み解く沿線シリーズ) 三才ブックス Amazon 地図で読み解く京王沿線 (地図で読み解く沿線シリーズ) 三才ブックス Amazon 里山の桜 多摩丘陵地区の散策 dantandho ランキング参加中雑談・日記を書きたい人のグループ にほんブログ村
こんにちは、暖淡堂です。 昭和の頃のことを考えていて、ふと思ったのが、「学生帽」のこと。 そういえば、最近見かけません。 僕が小学生の頃は、入学した時から学生帽をかぶっていました。 黄色い帽子はありませんでしたね。 北海道だったからでしょうか。 小学生の頃、外出する時には、学生帽をかぶることになっていたような気がします。 社会科見学や修学旅行の時も、基本はかぶることになっていたかと。 それは、中学校でも同じでした。 それで、修学旅行の時の写真は、だいたい学生帽をかぶって写っています。 ジーパン(今風にいうとデニムのパンツ)にジージャンを着ていて、その頭には学生帽を乗せいているという姿の写真があります。 なかなかその組み合わせは、自分では思いつかないですね。 学生帽をかぶるべし、というルールがあったからだと思います。 学生帽、もう今は、どこの学校でもかぶっていないのでしょうかね。 そういえば
こんにちは、暖淡堂です。 先週は「暖淡堂書房」で出版しているKindle本関連の作業をしていました。 易経(周易)を江戸時代の儒学者新井白蛾が解説した「易学小筌」の現代語訳を出版していて、多くの方に読んでいただけています。 今回、その増補版をまず作成しました。 で、増補版と一緒に、ずっと作ろうと思っていたペーパーバック版も作成しました。 増補版は、原稿と表紙のデータの差し替えでよいのですが、ペーパーバック版はちょっと追加で作業が必要になります。 まずペーパーバック版の判型を決めます。 その次に、判型のサイズに合わせて原稿データを修正します。 縦と横の長さ、マージン(余白)などを設定して、PDFファイルにします。 (Kindleではペーパーバックの原稿データはPDFで作るのがよさそうです。) 次に表紙データですが、これが思ったよりも時間がかかりました。 Kindleのサイトから表紙用のテンプ
雨の街 人通りなく カラスが 路上を 食卓にして 跳ね回っている この血を 雨は 流せるのだろうか ***** カラスは雑食であることを思い起こさせてくれます。 そして、知性が高い。 雪の処方箋 (暖淡堂書房) 作者:暖淡堂 Amazon 腐朽船群 (暖淡堂書房) 作者:暖淡堂 暖淡堂書房 Amazon dantandho にほんブログ村 ランキング参加中詩 ランキング参加中雑談・日記を書きたい人のグループ
通っていた小学校の校舎は、古かったせいか、工事が途中で放置されたままになっているようなところがありました。 天井がポッカリと開いたままになっているところもあったりして。 小学生の男子がそんなところを見つけたら、放っておくはずがありません。 僕は、友人に誘われるようにして、そんなところから、学校の裏側に入ってみたりしていました。 【沙河】昭和五一年~昭和五二年 (十五)④ ある日、私たちの教室の掃除用具入れの天井の板がずれていることに気がついた。 身体の小さかった川田君が、板の隙間から天井裏に上がってしまった。そして私を呼んだ。私も身体は小さいので、そこを上がるのは難しくなかった。川田君と同じようにして、私も天井裏に上った。 想像していたよりも明るかった。どこからか、外の光が入ってきているようだった。 木の枠組みがたくさんあって、埃っぽかったが、クモの巣はなく、ネズミもいなかった。教室ごとの
百人一首の第81歌から第90歌までをまとめます。 保元の乱、平治の乱、それに続く源平の合戦期。 その時代の歌人たちの作品が中心になります。 選者の藤原定家と、実際に交流のあった歌人の作品もいくつかありますね。 この後は第91歌から第100歌まで。 源平の合戦後までの歌人の作品になります。 dantandho.hatenadiary.com dantandho.hatenadiary.com dantandho.hatenadiary.com dantandho.hatenadiary.com dantandho.hatenadiary.com dantandho.hatenadiary.com dantandho.hatenadiary.com dantandho.hatenadiary.com dantandho.hatenadiary.com dantandho.hatenadiary
たどりつけない 足が、重くなって、もう歩けない 日は傾き、人々は家路を急ぐが 僕は、もうどこへもいけない 北で生まれて、西に帰る僕は その涯に、何かがあるのを確かに知っている だけど、もう歩けないのだ うずくまると 周囲のものがごうごうと音を立てて 僕を置き去りにする 気がつくと、僕は後ろ向きに 速度を上げながらどこかへ向かっているのだが ああ、もうそこには たどりつけない… ***** 北で生まれて、西の土地で暮らしていた頃。 そのさらに西にあるものを、想像したりしていました。 仏教や、その他の宗教について、集中して読んでいたのもこの頃ですね。 この頃、「禅」の書物に出会い、今でも読み続けています。 雪の処方箋 (暖淡堂書房) 作者:暖淡堂 Amazon 腐朽船群 (暖淡堂書房) 作者:暖淡堂 暖淡堂書房 Amazon dantandho にほんブログ村 ランキング参加中詩 ランキング参
丸刈り こんにちは、暖淡堂です。 昭和の頃のことを時々思い出しています。 今ちょうど高校野球の春の選抜大会が行われています。 最近の選手の髪型を見ると、昭和(僕たちの学生時代の頃)とはずいぶん変わった気がします。 丸刈りでない選手の数が、増えていますね。 ちょっとおしゃれな髪型をしている選手もいるくらいで。 僕たちの頃(繰り返しますが、昭和のことです)は、全員丸刈り。 髪が伸びてくると、すぐに短くしていました。 野球部だけやっていればよかったのでしょうが、学校によっては運動部は皆丸刈りというところもあったようで。 僕の通っていた中学校(豊沼中学校)は、野球部は基本丸刈りでした。 「丸刈り以外でもOK」だった運動部はいくつかありましたが、その代表が「軟式テニス部」。 で、中学の3年間は「軟式テニス部」に所属していました。 野球部にも憧れましたが、丸刈りが嫌だったからです。 自分が他の人にどう
湯島天神から空を見た こんにちは、暖淡堂です。 2024年3月30日(土)、家族で湯島天神に参詣しました。 娘の大学院試験の合格祈願をしていて、そのお礼参りに訪れました。 お参りをして、しばらく休憩していると、和装の新郎新婦が現れました。 神社の建物の中で、写真撮影をしていましたね。 結婚式や、記念アルバムに使う写真かな。 お参りをした後、不忍池の外側を通って、上野駅へ。 観光客の人が多かったです。 それも外国の人がたくさん。 キャリーケースを引っ張って歩いているので、さらに混み合っている感じがしました。 上野から京浜東北線で王子まで移動。 飛鳥山公園に行きました。 ここも、子供連れの家族を中心に人がたくさんいました。 桜はまだでしたね。 子供達は桜が咲いていようがまだだろうが関係なし。 元気に遊び回っていました。 大人たちも、桜が咲いていようがまだだろうが関係なし。 お昼の時点で、お酒を
伊豆下田の宿から眺めた風景(夕方) こんにちは、暖淡堂です。 2024年3月14日(木)の夕方、伊豆下田の宿に着きました。 運転をして、下田の街中の散策もして、結構疲れていました。 それでも、宿について、窓から見えた風景に、すっかり疲れが癒やされました。 海が、とても綺麗でした。 水が青いですね。 そして、砂浜が白い。 家族全員がこの景色に大満足しました。 僕は明るいうちに温泉に入り、フロントで買ったビールを部屋で飲みました。 その後、夕食会場でコースでの夕食。 そこでは、日本酒を1合だけ飲みました。 部屋に戻ってから、またビールを1本。 妻と娘は二人で温泉に行っていました。 僕は一人でテレビを観ながら、一日の行程を思い出しながら、のんびりと過ごしていました。 *☺☺☺☺☺* 宿から見えた海 伊豆下田への家族旅行 dantandho ランキング参加中雑談・日記を書きたい人のグループ にほん
こんにちは、暖淡堂です。 暖かくなってきましたね。 通勤の電車の中の人がぐっと増えましたが、僕は書物の世界に没入です。 で、塩野七生さんの人気の作品「ローマ人の物語」。 紀元前753年のロムルスによる建国から紀元前270年頃のターラント戦の勝利まで。 近隣諸国との攻防や当時の先進国であったギリシャとの関係など。 研究者とは違った独自の視点で描かれます。 塩野さんは、現代の欧州の研究者の視点に違和感を感じています。 むしろ、古代の歴史研究家に心を通わせます。 そこには、現代の欧州人にあるキリスト教的なものがない、自由な言葉があるから。 「ローマ人の物語」の文庫版は各冊200頁ほど。 持ち歩くにも最適です。 是非どうぞ。 ***** ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上) (新潮文庫) 作者:七生, 塩野 新潮社 Amazon ローマ人の物語 (2) ― ローマは一日にして
こんにちは、暖淡堂です。 先日、妻がちょっとした操作上のミスで、以下の広告表示のどこかをクリックしたようです。 その結果が、問題多々。 (以下、広告の画像です) ちょっと問題な広告表示の例 (ここまで) クリックした結果、ブラウザが乗っ取られ、操作不能になったようです。 慌てて妻が僕に知らせてくれました。 メッセージがたくさん出てきたのですが、大体、以下の内容でした。 「このPCは不具合で操作不能になりました」 「回復のためには次の電話番号に連絡してください」 「PCの強制終了、再起動はけっしてしないでください」 で、その状況を見たところで、何が起こったのかがわかりました。 そこで行った対策は、「PCの強制終了、再起動」です。 それで復旧。 ある種のジョークかと思いました。 今のところ、大きな問題は起こっていません。 (これが絶対安全な復旧方法とは思っていません。皆様にお勧めする方法ではあ
また一日 ふと、もう歩けなくなるのではないか そう思った なら、いっそ まだ歩けるうちに、立ち止まってみよう すぐ後ろにいて、僕を追いかけていたはずの人が 思いがけず遠くにいて 別の方角を向いて進んでいた 僕の前にいたはずの人の大きな背中が バランスの悪い歩行で、大きく揺れていた 遅いと思っていた人は 時々立ち止まり、進む方向を確認していた 僕と目が合い、にっこりして手を振ってくれた 急ぎ足で歩いていると、気づかなかったのだ 僕は、また歩き始めた 疲れ切る前に、立ち止まってみてよかった また一日 ***** 急足で進むよりも、ゆっくりと歩いている方が、より遠くまで行ける。 そんなふうに、実感を込めて、思えるようになりました。 雪の処方箋 (暖淡堂書房) 作者:暖淡堂 Amazon 腐朽船群 (暖淡堂書房) 作者:暖淡堂 暖淡堂書房 Amazon dantandho にほんブログ村 ランキン
僕が通っていた小学校は、炭鉱での石炭採掘が盛んに行われていた頃に建てられた木造の校舎でした。 昭和50年代になると、石炭の需要減に加え、大規模な炭鉱事故などもあって、採掘量は減っていました。 炭鉱関連での仕事が少なくなり、近隣の町を含めた一帯から子供が減っていた頃です。 校舎の中には使われていない教室がたくさんあって、それも校舎の奥の方に並んでいたので、曇った薄暗い日などには、そこにいくのが怖いくらいでした。 廊下もところどころ軋んで、不気味な音が出るときもありました。 トイレも古くて、個室を使うのはよっぽど我慢できないときに限られていました。 【沙河】昭和五一年~昭和五二年 (十五)③ 小学校は小高い丘の上にあった。大きな木造校舎だった。 私の住む町の周囲には、炭鉱がまだいくつかあった。町中を流れる川は、炭鉱で採掘された石炭を洗った廃水を流すので、時々真っ黒になっていた。 その炭鉱が、少
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