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「山月記」の臆病な自尊心と尊大な羞恥心という表現について - あれはどういう風に解釈したらいいんでしょう? - Yahoo!知恵袋
====== ①「臆病な自尊心」=自尊心の強さゆえに、その自尊心を傷つけられることを極度に怖れる心... ====== ①「臆病な自尊心」=自尊心の強さゆえに、その自尊心を傷つけられることを極度に怖れる心理。 ②「尊大な羞恥心」=羞恥心の強さゆえに、羞恥心にとらわれる機会をもつまいとわざと尊大にかまえて他人を避ける心理。 ====== 模範解答的には、こんなことになるでしょうか。 なお付け加えれば、この二つのフレーズの語句の結びつき方は意表をついていて、常識と逆になっていますよね。 ふつうだったら、「尊大な」は「自尊心」と、「臆病な」は「羞恥心」と結びつきやすいはずです。 この修飾関係を逆転させることで、作者はおそらく次のようなことをねらったのではないでしょうか。 それは、主人公李徴の、《自負》(=俺には人に負けない詩才がある)と《自己否定》(=俺には真の詩才がないのではないか)との間で振り子のように揺れる心理を表す、ということです。 みごとな表現だと、ぼくは思いますが、あなたはどうですか。
2014/04/01 リンク