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心に傷を負った少年が精神科医になるまで…「阪神淡路大震災」の避難所で経験した「相手の身体との対話」(森川 すいめい)
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心に傷を負った少年が精神科医になるまで…「阪神淡路大震災」の避難所で経験した「相手の身体との対話」(森川 すいめい)
1980年代、フィンランド北部の病院で、精神に困難を抱えた人たちと対話する試みが始まりました。それは... 1980年代、フィンランド北部の病院で、精神に困難を抱えた人たちと対話する試みが始まりました。それはのちに「オープンダイアローグ」と名付けられ、今では世界各地にその考え方が広がっています。なんでも精神を病む人たちの8割が回復しているといいます。 日本人医師として初めてオープンダイアローグの国際トレーナー資格を得た一人である森川すいめいさんは、自身が心に傷を負う少年でした。 森川さんが、「対話の旅」に出るまでの人生を振り返ります。 *本記事は『感じるオープンダイアローグ』を抜粋して構成したものです。 貧しく、暴力に満ちた家で育つ 私は1973年、東京の豊島区要町で生まれた。貧しい家庭で、部屋中の小銭を集めて食材を買ったこともあると、のちに母親から聞いた。 埼玉県の片田舎に引っ越して、家の近くにあったスーパーの一角で花の種を売る両親の傍らで、小さい頃は妹と自由に遊んでいた。そのスーパーの非常警