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「切りやすい人々」とは誰か? 「移民の時代」と「人間の条件」(望月 優大)
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「切りやすい人々」とは誰か? 「移民の時代」と「人間の条件」(望月 優大)
移民の時代と人間の条件 同時に、一つひとつの制度の違いを超えて、この国の「移民政策」に通底する論理... 移民の時代と人間の条件 同時に、一つひとつの制度の違いを超えて、この国の「移民政策」に通底する論理をつかみ取ることも重要である。拙著『ふたつの日本』ではこちらのテーマにも取り組んだ。 「外国人労働者」の問題は、「外国人」の問題であると同時に「労働者」の問題でもある。そして、平成の時代に起きた「日本人」労働者たちを取り巻く環境の激変と外国人労働者たちの大幅な増加とは双子のような関係にある。 一言で言えば、この30年間は国家や企業にとって「切りやすい人々」が大きく増えた時代だった。人間の「交換可能性」が著しく高まった時代であったとも言える。 国家も企業も、一人の人間の人生に対してますます「責任」を負いたがらなくなってきている。自らが必要なときに必要なだけ関わり、未来の約束を回避するようになってきている。 「未来の約束」とは、長期雇用の約束であり、福祉国家の約束でもある。 雇用の非正規化、そして