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『天気の子』主人公が「村上春樹訳のサリンジャー」を読んでいる理由(河野 真太郎) @gendai_biz
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『天気の子』主人公が「村上春樹訳のサリンジャー」を読んでいる理由(河野 真太郎) @gendai_biz
このような作品の身振りは「社会への批評」といったものではない。セカイ系の回帰である。セカイ系を超... このような作品の身振りは「社会への批評」といったものではない。セカイ系の回帰である。セカイ系を超えるには、単に社会的なアイテムをちりばめればいいというものではない。『君の名は。』では隠喩的な震災、『天気の子』では気候変動という集団的な問題を導入するかに見えて、新海作品の基本はずっと変わっていない。 重要なのは「きみとぼく」の情動である。そして、風の匂いや雨が頬に落ちる感覚といった、感覚的なものである。感覚と情動。この二つが何よりも優先されることが、新海的セカイ系の特徴だ。これは確かに分かりやすい。しかし私たちは、分かりやすいものの危うさを歴史から学んでしかるべきではないか? 「きみを守る」か「世界を守る」かの二者択一 セカイ系のもうひとつの問題、ミソジニーについてはどうだろうか。 この点でも、『天気の子』はセカイ系の典型をそれほど逸脱しないように見える。天気を変える能力を持ちながら、人柱と