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スパンドレルとしての規範(大澤 真幸) @gendai_biz
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スパンドレルとしての規範(大澤 真幸) @gendai_biz
さて、ヴィトゲンシュタイン–クリプキの議論にそって、規則・規範といった現象を見直してくると、今回の... さて、ヴィトゲンシュタイン–クリプキの議論にそって、規則・規範といった現象を見直してくると、今回の冒頭で検討した仮説、つまり「評判」の仮説とよく似た場面を重視した議論になっていることに気づくであろう。ヴィトゲンシュタイン–クリプキが、規則・規範を救出する論法は、いったん、規則や規範の素朴な意味での存在を――パラドクスの存在を指摘することを通じて――懐疑的に斥けたあとで、別のルートから――社会性を経由するルートから――再導入するものなので、「規則・規範に従うこと」についての「懐疑的解決」と呼ぶ。「懐疑的解決」の着眼点と「評判」の仮説の着眼点は、似ているように思える。懐疑的解決においては、行為のあるやり方を承認したり、否認したりする他者が存在していることが前提である。この承認や否認こそ、一種の「評判」ではないか。 だがよく見よ。類似は表面的なものに過ぎない。似て非なるものとは、まさにこのケース