エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
野村克也、落合博満、清原和博、ブーマー…球史に残る『右の大砲』列伝ーパ・リーグ編(猶木 充和) @gendai_biz
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
野村克也、落合博満、清原和博、ブーマー…球史に残る『右の大砲』列伝ーパ・リーグ編(猶木 充和) @gendai_biz
トリプルスリーの最年少達成者 日本球界において「右の大砲」の価値は高い。少年野球で「ダウンスイング... トリプルスリーの最年少達成者 日本球界において「右の大砲」の価値は高い。少年野球で「ダウンスイング」、学生野球では「チームバッティング」が求められ、そしてイチローや松井秀喜の出現もあって、特に1990年代以降から「右投げ左打ち」隆盛の時代が続いている。 だが、この10年の本塁打王のタイトル獲得者を見ると、セ・パ両リーグの計14人中、左打ちは1人(筒香嘉智)のみ。中村剛也、山田哲人、山川穂高、岡本和真、浅村栄斗に加え、バレンティン、アブレイユ、エルドレッド、メヒア、レアード、ゲレーロ、デスパイネ、ソトの外国人たちもすべて「右打ち」なのである。 パ・リーグの「右の大砲」の歴史を振り返ると、まずは「怪童」中西太を語るべきだ。高松第一高時代から別次元の打撃を見せて注目を集め、西鉄入団1年目の1952年に12本塁打を放って新人王に輝くと、高卒2年目にトリプルスリー(打率3割1分4厘、36本塁打、36