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「光州事件」を超えて〜韓国民主化の中で40年生き続けた光州5.18を知る(上)(徐台教)
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「光州事件」を超えて〜韓国民主化の中で40年生き続けた光州5.18を知る(上)(徐台教)
戒厳令は憲法で定められた大統領の権限であり、国家非常事態に発令できるようになっている。憲法第77条... 戒厳令は憲法で定められた大統領の権限であり、国家非常事態に発令できるようになっている。憲法第77条には「非常戒厳時には言論・出版・集会・結社の自由さらに政府と裁判所の権限に関し特別な措置を行える」とある。全斗煥は戒厳令による行政と司法の掌握に飽き足らず、国会の敷地にも軍を進め立法府を事実上解散させ三権を停止させた。 当時、韓国は済州島を除き既に非常戒厳令下にあったが、全国に拡大することには大きな意味があった。これにより、戒厳司令部が国防部長官の指示を受けなくなり、上には大統領が残るのみとなったからだ。保安司令官の全斗煥は腹心を戒厳司令官に据えており、また当時の崔圭夏大統領は既にお飾りとなっていたため、全斗煥が韓国の国政を一手に握ったことになる。 この5月17日の出来事は韓国で「5.17内乱」と呼ばれる。前年12月から始まった全斗煥によるクーデター(12・12事件)の完成だった。同時に、全国