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朝鮮人虐殺の背景に「植民地戦争」の手法 デマ発生後たちまち殺りく 武力行使で民族運動を殲滅 『しんぶん赤旗日曜版』2023年9月3日号
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朝鮮人虐殺の背景に「植民地戦争」の手法 デマ発生後たちまち殺りく 武力行使で民族運動を殲滅 『しんぶん赤旗日曜版』2023年9月3日号
東京都は犠牲者数について「6000人が正しいのか特定できない」ともいいます。数の問題をあげつらうのは... 東京都は犠牲者数について「6000人が正しいのか特定できない」ともいいます。数の問題をあげつらうのは、歴史修正主義者の常とう手段です。 歴史研究でこの間、重視されてきたのが6661人です。23年12月の「在日本関東地方罹災(りさい)朝鮮同胞慰問班調査」です。日本にいた留学生たちが各地を回って調べました。 一方、政府が同年10月に出した数字は、司法省調査の233人でした。自警団による殺傷行為のごく一部で、しかも刑事事件として立件された被殺数のみです。 デマ発生後たちまち虐殺に至るには、朝鮮への潜在的恐怖感があったからです。つまり、日本に独立を求める民族運動への恐怖と憎悪が蓄積されることで、官民双方に「不逞(ふてい) 鮮人」像が形成されたのです。 「不逞鮮人」は、日本が朝鮮を植民地支配していた時代に使われた言葉です。「反日的な朝鮮人」という意味で、「殺しても構わない」という含意がありました。