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歌人。1962年札幌市生まれ。1985年より短歌の創作を始める。2008年『短歌の友人』で伊藤整文学賞、2017... 歌人。1962年札幌市生まれ。1985年より短歌の創作を始める。2008年『短歌の友人』で伊藤整文学賞、2017年『鳥肌が』で講談社エッセイ賞、2018年『水中翼船炎上中』で若山牧水賞を受賞。歌集『シンジケート』『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』『ラインマーカーズ』、詩集『求愛瞳孔反射』、エッセイ集『世界音痴』『にょっ記』『野良猫を尊敬した日』など、近著に『図書館の外は嵐』がある。 働きたくない。「一生、日給5,000円」でもいいと思っていた 大学在学中に作歌を開始し、1986年に応募した連作「シンジケート」で第32回角川短歌賞次席という好成績を残した穂村さん。しかし、卒業後は一般企業に就職、以来二足の草鞋生活を長らく続けることになる。由緒正しい賞でそれなりの評価を得たのだから、「最初から専業で」という考えはなかったのだろうか。 穂村:親が会社員でしたし、親戚にも自営業やフリーで働い
2022/10/14 リンク