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極端な自責と他責を使い分ける - Konifar's ZATSU
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極端な自責と他責を使い分ける - Konifar's ZATSU
何らかの問題に直面した時に、原因が自分にあると考えることを自責、他人や環境にあると考えることを他... 何らかの問題に直面した時に、原因が自分にあると考えることを自責、他人や環境にあると考えることを他責という。 仕事をする上では自責思考がよいとされることが多いが、自責の念という言葉もあるとおり自分を責めてしまいがちでちょっとしんどいよね。 中には、「すみません、自分のせいで~~~」みたいな感じで過度な自責スタンスが謝罪以上の思考を停止させてしまうこともある。自責と卑屈は違うのだが、自分で自覚するのはなかなか難しい。 自分としては、自責思考がよいと偏って考えるのがよくないと思っている。そもそも何かの問題の原因が自分だけのことの方が少ないわけで、いろんな要因が絡んでいる。 常に自責で考える必要はなくて、自責と他責を切り替えて考えられればよい。「100%自分が悪いとしたら何ができたか」「100%自分が悪くないとしたら何ができたか」という2つの極端な自責と他責を考えてみると次につながる話が出やすかっ