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三宅玲子『本屋のない人生なんて』光文社 (2024) 読了+読書日記1334 - はてなブログ大学文学部
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三宅玲子『本屋のない人生なんて』光文社 (2024) 読了+読書日記1334 - はてなブログ大学文学部
三宅玲子『本屋のない人生なんて』光文社 (2024) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー... 三宅玲子『本屋のない人生なんて』光文社 (2024) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 感想 随分前になるので、具体的に誰が言っていたのか忘れてしまったが、いまだに忘れられない本の言葉がある。(タイトルも不明) アダム・スミスが分業の重要性を訴えていた件について「それじゃ生活がつまんなくなるじゃねえか、ばかやろう」といった内容のことを書いていた。 アダム・スミスは、道徳心があるという前提では「私利私欲のための経済活動は、全体にとってプラスになる」と考えていた。 加えて、分業化することで生産性が上がること訴えた人物である。 (アダム・スミスについてはこちら) 神戸大学:川畑康治 www2.kobe-u.ac.jp ところがどっこい。 分業がもたらしたのは「代替可能」という、人間性の否定であった。 「お前の代わりならいくらでもいる」というのがその決