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松本人志「M−1採点」の歴史 島田紳助がいなくなってから変わったこと(堀井憲一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース
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松本人志「M−1採点」の歴史 島田紳助がいなくなってから変わったこと(堀井憲一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース
松本人志「M−1」で審査員15回の歴史 いよいよ2022年のM−1グランプリが始まる。 松本人志はM−1で過去15回... 松本人志「M−1」で審査員15回の歴史 いよいよ2022年のM−1グランプリが始まる。 松本人志はM−1で過去15回、審査員をつとめている。 M−1は2021年までで17回。 松本は第4回(2004年)と第11回(2015年)の2回をのぞき、ずっとつとめている。 お笑い芸人からの信頼が高いから、ということもいえるだろう。 1990年代の半ばごろ、お笑い界の頂点はビートたけし(北野武)から松本人志にうつった。 爾来30年近く、日本お笑いのトップにいる。 ときどきつらくないのかとおもうが、やはりそこは相方の浜田雅功がいることで軽減されているのだろう。 「M−1採点」での松本人志のスタイル 松本人志の採点には松本らしい基準がある。 点数の付け方は時代によって違うのだが、でもその底には「松本採点スタイル」があるのがわかる。 最初期の段階は、けっこう大胆な採点であった。 第1回(2001年/中川家優