エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
「パーマネントはやめましょう」って言い続けたけど、押さえ切るのは無理なことでした。新聞投稿で論争も。|信州戦争資料センター(まだ施設は無い…)
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
「パーマネントはやめましょう」って言い続けたけど、押さえ切るのは無理なことでした。新聞投稿で論争も。|信州戦争資料センター(まだ施設は無い…)
「パーマネントはやめましょう」という標語というかスローガンというか運動というか、そういった言葉が... 「パーマネントはやめましょう」という標語というかスローガンというか運動というか、そういった言葉が登場したのは意外に早く、日中戦争が始まった1937(昭和12)年ごろからでした。贅沢を排撃する風潮の高まりに合わせて、婦人団体やら生活改善やらで活動したようです。しかし、効果はどうだったか。それは、パーマをかけることが、なぜ贅沢なのかー既に一般に広がっていたーを誰も説明できなかったからでしょう。国民精神総動員運動の手持の資料を調べましたが、なかなか見つけられませんでした。 次にパーマネントをやめさせようという機運が盛り上がるのが、1939(昭和14)年の電力不足のころで、同年6月16日の国民精神総動員委員会では、学生の長髪、ネオンの禁止と並んでパーマネントの禁止も決定します。 節電のため、寝る時の電気消灯を呼びかける長野県松本警察署などのチラシ1939年9月のもので「電気を消して銃後報国」と。