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砲弾となった1,036の命を偲ぶ「知覧特攻平和会館」 - オババのトラベルジャーナル
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砲弾となった1,036の命を偲ぶ「知覧特攻平和会館」 - オババのトラベルジャーナル
指宿へは知覧経由で向かい、 「知覧特攻平和会館」に立ち寄りました。 今回の旅行で、オババがどうして... 指宿へは知覧経由で向かい、 「知覧特攻平和会館」に立ち寄りました。 今回の旅行で、オババがどうしても行きたかった場所です。 太平洋戦争が勃発する直前の1941年12月、 知覧に陸軍の飛行場が完成しました。 太平洋戦争に突入すると、 少年飛行兵や学徒出陣した学生、特別幹部候補生などの 戦闘機訓練が行われるようになります。 そして沖縄戦が始まった1945年、 知覧から沖縄に向けて特攻出撃が始まりました。 沖縄戦で陸軍より出撃した人1,036人のうち、 半数近くの439人が、知覧から飛び立ったそうです。 この「知覧特攻平和会館」には、その1,036名の遺影を中心に、 写真や遺書など4,500点が展示されています。 (館内は撮影禁止でしたので、パンフレットの写真です) 250kgの爆弾を装着した戦闘機で、 ”敵”に体当たりをすることを命じられた隊員たち・・・ (甑島沖から引き上げられた零戦・・・こ