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だから織田と豊臣はあっさり潰れた…徳川家康が「戦国最後の天下人」になれた本当の理由 ピンチをチャンスに変える名将の処世術
なぜ徳川家康は天下人になれたのか。歴史家の安藤優一郎さんは「ピンチをチャンスに変える名将だった。... なぜ徳川家康は天下人になれたのか。歴史家の安藤優一郎さんは「ピンチをチャンスに変える名将だった。秀吉に三河などの旧領を奪われても、関東で家臣の統制や領国経営を強化して力を蓄えた」という。安藤さんの著書『徳川家康「関東国替え」の真実』(有隣堂)からお届けする――。 関東転封を家康に命じた秀吉の狙い 北条氏の討伐に成功して関東を平定した秀吉は、すぐさま戦後処理に入る。その最大の眼目は約二百四十万石にもおよぶ北条氏旧領を誰に与えるのかということに尽きた。 先の四国征伐では降伏した長宗我部氏に土佐一国、九州征伐では降伏した島津氏に薩摩・大隈そして日向の一部を与えた。その領国の過半を没収したものの、改易の処分までは下さなかったが、北条氏の場合は違っていた。 長宗我部氏も島津氏も秀吉軍と戦火を交えたとはいえ、北条氏のように居城に籠城して最後の抵抗を試みてはいない。長宗我部氏の場合は本国の土佐、島津氏の
2023/02/18 リンク