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高校3年間を通して「羅生門」しか読まなくていいのか…灘中学の国語科教師が懸念する"文学離れのマズさ" 実用重視で危機に瀕する国語のカリキュラム (2ページ目)
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高校3年間を通して「羅生門」しか読まなくていいのか…灘中学の国語科教師が懸念する"文学離れのマズさ" 実用重視で危機に瀕する国語のカリキュラム (2ページ目)
中学受験では子どもたちが抑圧されている面がある 【加藤】学校での文学離れは、今後どのような問題を生... 中学受験では子どもたちが抑圧されている面がある 【加藤】学校での文学離れは、今後どのような問題を生じさせると思われますか。 【井上】個人の体験や具体的な経験をないがしろにする風潮に拍車をかけるのではないかと危惧しています。ある人にしかわからない体験など、客観性がないのだからどうでもいい、という風潮が生まれてくるのではないかと。 灘校でも時折、自分の具体的な体験をプレゼンしたり、言語化したりするような場面で、「何の意味があるの?」という反応をする生徒がいます。中学受験では、「あなた自身がどう考えるかは問題ではない」と子どもたちが抑圧されている面があります。筆者が言っていることをかいつまんで説明しなさいとか、これを書いた人の視点に立って答えなさい、といった設問が多いために、子どもたちからすれば「あなたの意見はどうでもいい」と遠回しに言われているように感じるのではないでしょうか。 【加藤】「それ