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王昶(おうちょう) ※あざなは文舒(ぶんじょ)、魏(ぎ)の京陵穆侯(けいりょうぼくこう)
【姓名】 王昶(おうちょう) 【あざな】 文舒(ぶんじょ) 【原籍】 太原郡(たいげんぐん)晋陽県... 【姓名】 王昶(おうちょう) 【あざな】 文舒(ぶんじょ) 【原籍】 太原郡(たいげんぐん)晋陽県(しんようけん) 【生没】 ?~259年(?歳) 【吉川】 登場せず。 【演義】 第108回で初登場。 【正史】 登場人物。『魏書(ぎしょ)・王昶伝』あり。 文武にわたる功績を上げて三公に昇る、京陵穆侯(けいりょうぼくこう) 父は王沢(おうたく)だが、母は不詳。王柔(おうじゅう)は伯父。兄がいたものの名は出てこない。 息子の王渾(おうこん)は跡継ぎで、王深(おうしん)と王湛(おうたん)も同じく息子。 王昶は若いころから同郡の王淩(おうりょう)とともに名を知られ、年長の王淩に兄事した。 曹丕(そうひ)が王太子として東宮(とうぐう)にいたとき(217~220年)、王昶は太子文学(たいしぶんがく)となり、後に太子中庶子(たいしちゅうしょし)に昇進した。 220年、曹丕が帝位に即くと散騎侍郎(さんきじ
2020/05/20 リンク