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性善説と性悪説 - 噬嗑録
儒学では、性善説(せいぜんせつ)と性悪説(せいあくせつ)がしばしば問題になる。 孟子や荀子を読み、... 儒学では、性善説(せいぜんせつ)と性悪説(せいあくせつ)がしばしば問題になる。 孟子や荀子を読み、どちらが本当であるか迷い、孔子はどうであろうかと論語をひもとく。 しかし論語の教えは、性善説とも性悪説とも断じかねる、どちらとも取れる言葉が多く、ますますわからなくなる。 性善説・性悪説のどちらが正しいか、これは結局のところ視点の違いで、考えようによってどちらでもあり得る。 しかし私は、強いてどちらかといえば論語の説く所は性善説であると思うし、孔子はそのようにお考えであったろうと思う。 だから私は、性善説に賛成である。 性善説・性悪説に関して質問を受けたことでもあるし、今回はこれを考えてみたい。 仁者はなぜ偏らないか 人は天徳を稟けて生まれる 天徳とは中正の徳 仁者には私欲がない 性善説か性悪説か 克己復礼 性善説か性悪説か ひとつのたとえ話 種の本性はどこにある 性善説か性悪説か 善なる本性
2022/04/17 リンク