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身重の妻、傷負った子どもたち… 決死の覚悟で能登半島を脱出した家族たち:北陸中日新聞Web
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身重の妻、傷負った子どもたち… 決死の覚悟で能登半島を脱出した家族たち:北陸中日新聞Web
能登半島地震から2カ月半が過ぎた先月18日、金沢市の病院で3576グラムの元気な男の子が誕生した。幸せに... 能登半島地震から2カ月半が過ぎた先月18日、金沢市の病院で3576グラムの元気な男の子が誕生した。幸せに生きてほしいという願いが込められた幸生(たつき)ちゃん。米田幸助さん(48)と妻留美子さん(43)にとっては9人目の子どもだ。「家族が全員避難でき、無事に生まれてくれた」。米田さんには、全てが奇跡的に思えた。 元日、1~15歳の子ども8人と石川県珠洲市内の自宅で家族だんらんの時間を過ごしていた。地震ですぐに高台の飯田高校に避難し、飯田港近くの店舗兼住宅にいた母(68)は津波に襲われたが、上階に逃げた。夜になって取り残された母を救出し、11人で教室で一夜を明かした。 飯田高は電気が通っていて暖房も使えた。非常食も配られた。だが、避難者が次々と押し寄せ、2日夜に物資の支給が滞り始めると、米田さんは焦りが募った。3日朝には4世帯いた教室に2リットル入りの水が3本。「11人もいて場所を取るし、食