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杉江松恋:書評家はどれだけの本を読めばいいのか|特集|三田評論ONLINE
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杉江松恋:書評家はどれだけの本を読めばいいのか|特集|三田評論ONLINE
たくさん本を読むんでしょう。 そう聞かれるのが実は苦手である。量を誇ることは、読書の質を落とす行為... たくさん本を読むんでしょう。 そう聞かれるのが実は苦手である。量を誇ることは、読書の質を落とす行為と同義に聞こえてしまうからだ。ページをぱらぱらとめくっただけでも、一連の動作をもって読んだ、と言い張ることはできる。内容の理解が伴わなくとも。 急いで付け加えるのだが、量を読むことも書評家は大事だ。広瀬和生は『落語評論はなぜ役に立たないのか』(光文社新書)でこう書いている。 「例えば、エラリー・クイーンやアガサ・クリスティの生きた時代の推理小説全般には造詣が深いが、近年の作家によるミステリーはあまり読まず、特に日本の作家はほとんど読んだことがない、というような人物が、東野圭吾の数ある作品の中から「たまたま読んだ一冊」を論評したとする。「そういう人物の目にその作品がどう映ったか」という意味では興味深いが、書評としての正確さには欠けると言わざるを得ないだろう」 広瀬の言う「たまたま書評」にも存在意