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「伊賀越え」同行忍者の経歴判明 家康と足利義昭の二重スパイか
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「伊賀越え」同行忍者の経歴判明 家康と足利義昭の二重スパイか
徳川家康の人生最大の危機ともいわれる「神君伊賀越え」に同行した忍者のひとり服部保次(やすつぐ)が... 徳川家康の人生最大の危機ともいわれる「神君伊賀越え」に同行した忍者のひとり服部保次(やすつぐ)が、室町将軍、足利義昭の配下として護衛役や諜報活動を行った経歴があることが最新の研究で明らかになった。隠密裏に諜報や工作を担う性質上、忍者の経歴が記録されることは少ないが、複数の書状の分析などから判明した。徳川家康と足利義昭という戦国の巨頭のはざまで生きた忍者は、二重スパイをしていた可能性もあるいう。 愛知県で9月開催された国際忍者学会に合わせ発刊された会誌に、奈良県の歴史作家、上島秀友氏の論文「『服部保次』考」が掲載され明らかになった。 国際忍者学会の大会で発表する上島秀友氏=9日、愛知県常滑市保次は1526年、伊賀(三重県)生まれ。65年から家康に仕え、信長が明智光秀に討たれた82年の本能寺の変の混乱の中、家康が遊覧先の堺から領国の三河(愛知県)に逃げ帰る「伊賀越え」で活躍したとされるが、詳細