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5万人の命を託された二式飛行艇「晴空」 元機長で海軍少尉・堤四郎が綴った最後の救出劇 ミリタリー誌「丸」6月号
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5万人の命を託された二式飛行艇「晴空」 元機長で海軍少尉・堤四郎が綴った最後の救出劇 ミリタリー誌「丸」6月号
日本は飛行艇王国である。飛行艇は空を飛ぶ飛行機でありながら船のように海面に浮かぶこともできる、い... 日本は飛行艇王国である。飛行艇は空を飛ぶ飛行機でありながら船のように海面に浮かぶこともできる、いいとこ取りの乗り物です。日本海軍は4発の大型機である九七式、二式の両大型飛行艇が、航続力などで世界のトップに立ちました。戦後もPS-1、US-2という高性能飛行艇を海上自衛隊が運用しています。どちらも川西航空機/新明和工業という同一メーカーが開発しました。ミリタリー誌「丸」6月号の「二式飛行艇」特集から、昭和20年4月、ブーゲンビル島(パプアニューギニア/ソロモン諸島)の残留将兵を救うため、追浜基地(横須賀)から医薬品を空輸した元二式飛行艇機長・堤四郎氏が昭和39年に寄稿した手記を紹介します。二式飛行艇の航続力を活かして敵制空権下を飛ぶ、決死の冒険飛行です。 ◆ ◆ ◆ ブーゲンビルをめざすただ一機シンガポールからの任務を終えたわれわれは、2日間ばかり休養した午後、飛行隊長の陣内大尉からの呼出し