エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
社説 考ともに 時代を記録する 生きた証しを消さない | 信濃毎日新聞[信毎web]
はがきを少し縦長にした紙片には小さな印字が横に並ぶ。 「奨匡社(しょうきょうしゃ)々員之(の)証票... はがきを少し縦長にした紙片には小さな印字が横に並ぶ。 「奨匡社(しょうきょうしゃ)々員之(の)証票」。下に筆書きで持ち主と出身地が残る。 明治の改元から12年後の1880年春、民衆の政治参加を求める結社が松本に生まれた。中心となった安曇野市穂高出身の自由民権運動家、25歳の松沢求策は国会開設の請願に奔走する。 奨匡社には1069人が集まった。若い教師や後に町村の自治を担っていく人材も多かった。同志の証しとなった証票は、松本市文書館に1点だけ現存する。 「ほんの1人の、生きた人間の記録です」。6月20日、同文書館が開いた市民講座。特別専門員の小松芳郎さん(70)が若者たちの運動と資料の経緯を語った。 証票は、南部の旧神戸(ごうど)村の名主丸山家に元禄期から伝わる約5千点の古文書に含まれていた。 1970年代、丸山家の子孫が転居した神奈川県藤沢市は文書保存の先駆だった。全てを保管し、98年、松
2020/07/21 リンク