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【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】中森明菜の移籍でもめにもめたワーナーとMCAビクター 歌手活動の紆余曲折が始まる(1/2ページ)
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【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】中森明菜の移籍でもめにもめたワーナーとMCAビクター 歌手活動の紆余曲折が始まる(1/2ページ)
デビュー10周年を迎えた1991年、中森明菜はワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャ... デビュー10周年を迎えた1991年、中森明菜はワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)で最後のシングル「二人静―『天河伝説殺人事件』より」を発売(3月25日)。そして8月には、「ミ・アモーレ〔Meu amor é…〕」(85年)から「水に挿した花」(90年)まで制作を担当した藤倉克己もワーナーを去った。 「明菜の歌手活動の紆余曲折は、この時期から始まった」 当時を知る音楽関係者は、そう振り返る。 「明菜は、89年12月の末にデビュー以来、所属してきた『研音』から独立して、新たに設立された『コレクション』に移ったのですが、そこも明菜とはシックリといきませんでした。とにかくバタバタする中、明菜はワーナーを離れ、MCAビクター(現ユニバーサルミュージック)に移籍したのですが、『コレクション』は機能不全となってしまい、明菜のマネジメントは宙に浮いたのです。すったもんだの揚げ句、さら