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JR三ノ宮駅に残る戦争のあと−『火垂るの墓』と機銃掃射
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JR三ノ宮駅に残る戦争のあと−『火垂るの墓』と機銃掃射
70年後も残る戦争の疵神戸大空襲や終戦からすでに70年を過ぎ、戦争は過去の本棚で眠りにつくことが多い... 70年後も残る戦争の疵神戸大空襲や終戦からすでに70年を過ぎ、戦争は過去の本棚で眠りにつくことが多い出来事です。さらに1995年の阪神淡路大震災で、神戸が多大な被害を受け建て替えなどが進んでいます。 阪神淡路大震災でも24年経ち疵を探すのは困難になってきたのに、70年前の空襲の跡なんてさすがにもうないだろう…。ところが、その跡が残っていたりするのです。それも、意外すぎるほどの場所に。 JR三ノ宮駅JR三ノ宮駅は、戦前から特急『燕』などの優等列車が停車する鉄道の要衝でした。 三ノ宮界隈が人とモノの中心地になるのは、戦前は神戸駅・新開地にあった市役所や繁華街がこちらに引っ越してきた戦後のことですが、戦前の三ノ宮駅は神戸港発着の国内・国際船のアクセス駅として、大いに賑わいました。 当時の海外渡航は船がメインだったため、空港のターミナル駅のようなものと思えばいいでしょう。「ターミナル駅」を名乗るに