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福島一本杉遊郭(福島県福島市)|おいらんだ国酔夢譚|
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福島一本杉遊郭(福島県福島市)|おいらんだ国酔夢譚|
福島の遊郭史そもそも福島という町は、城下町と同時に奥州街道沿いの宿場町として栄えました。街道沿い... 福島の遊郭史そもそも福島という町は、城下町と同時に奥州街道沿いの宿場町として栄えました。街道沿いにある北町(北裡)は旅籠が集まる通りとして賑わいをみせましたが、その中には飯盛女を抱えた遊女屋兼業もあり、大人の盛り場としての面もあったのは、他の宿場町と同様です。 近代に入って以降も状況は変わらず、遊郭・花街・宿屋が混在する形になっていました。明治12年(1879)の福島の貸座敷数は18軒、娼妓数は114人という記録が残っています1。 明治35年(1902)、町の中心にあった遊郭は、当時の福島町長の決断で郊外の一本杉に移ることになりました。遊郭が一本杉に移ったのは明治34年という資料もありますが、ここは郷土史に従います。 その時移った遊女屋は、渡利楼、湯野屋、花野屋、高木屋、丸井楼、大野屋、吉野屋、吾妻楼、常盤楼、えびす屋の10軒。えびす屋はすぐ廃業したそうなので、実質9軒といったところか。移