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子規と漱石③論争!アイデアとレトリック
「七草集」と「木屑録」。互いの作品批評を通じて認め合った子規と漱石。この時期に2人の間で交わされ... 「七草集」と「木屑録」。互いの作品批評を通じて認め合った子規と漱石。この時期に2人の間で交わされた有名な論争があります。始終何かを書いている子規に対して漱石が苦言を呈したのがきっかけでした。 漱石「大兄の文はなよなよとして…」明治22(1889)年の大晦日、漱石は松山に帰省中の子規に手紙を書きました。「七草集」で様々な文体を駆使してみせた子規に、漱石は「兼て御趣向の小説は已に筆を下ろし給ひてや。今度は如何なる文体を用ひ給ふ御意見なりや」と尋ねます。 「大兄の文はなよなよとして婦人流の臭気を脱せず、近頃は篁村(饗庭篁村)流に変化せられ旧来の面目を一変せられたる様なりといへども未だ真率の元気に乏しく従ふて人をして案を拍て快と呼ばしむる箇処少なきやと存候」 読書してideaを養うべしこのように切り出した漱石は、文壇に立ちたいならオリジナルなアイデア(思想)を養うことこそが大切。文章のレトリックな