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北方少数民族資料館ジャッカ・ドフニ【コラムリレー第27回】
網走には数年前まで、北方少数民族資料館ジャッカ・ドフニがあった。網走川が大きく蛇行した大曲とよば... 網走には数年前まで、北方少数民族資料館ジャッカ・ドフニがあった。網走川が大きく蛇行した大曲とよばれる地域に、丸太を組んだような建物と、その脇の白いテントがひっそりとたたずんでいた。 北方少数民族資料館ジャッカ・ドフニ(以下ジャッカ・ドフニ)は、樺太(サハリン)に暮らしてきたウイルタ、ニブフ、樺太アイヌの資料館である。なおジャッカ・ドフニとは、大切なものを収める家を意味するウイルタ語である。 日露戦争後のポーツマス条約(明治38年/1905年)でサハリン島の北緯50度以南は日本領に、以北はロシア領にと決められた。そして日本領となった範囲にたまたまいた少数民族は(樺太アイヌの事情は異なる)それ以降日本の影響を強く受けることになった。 樺太アイヌをのぞく少数民族の多くが、敷香(現在のポロナイスク)郊外のオタスとよばれた地域に暮らすようになり、オタスには少数民族の子弟を教育する学校も作られた。若者
2020/02/07 リンク