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personに関するuserinjapanのブックマーク (87)

  • エジプト軍閥の“子飼い”小池百合子の運命③ エジプトへの個人的な見返り、日本人の血税300億円(特別寄稿)

    前回(「私は100%エジプト人なの」)取り上げた「カイロ大学、小池都知事のために都知事選に‟点火”」(ニュースサイト「アルバラド」)などの一連の記事に関し、SNS上ではこんな書き込みがあった。 東京都知事! 誰とやりとりしているんですか? この証言(カイロ大学声明)は怪しい。エジプト政府の声明だから、疑念をもって当然だ (この記事は)偽りを語っている。それは、神のためではなく、自分自身の満足、そして腐敗した支配者のためだけに さすがは独裁専制下で生きてきたエジプトやアラブ諸国のネットユーザーたちだ。小池氏の学歴騒動の深層について、お見通しである。小池氏とエジプト政府間の癒着や腐敗、それを覆い隠すエジプト政府のプロパンガンダを見透かしているのだ。 エジプト流プロパガンダの真髄を見せた動画 そんな小池記事への書き込みが盛り上がった数日後、元記事を掲載したニュースサイト「アルバラド」に妙な動画が

    エジプト軍閥の“子飼い”小池百合子の運命③ エジプトへの個人的な見返り、日本人の血税300億円(特別寄稿)
  • 『エブエブ』で俳優復帰した『インディ・ジョーンズ』の元子役、キー・ホイ・クァンの多彩な人生

    『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』の演技で、アカデミー賞助演男優賞に輝いたキー・ホイ・クァン。20年ぶりに大きなスクリーンに戻ってきたかつての人気子役が、昨年3月の全米での『エブエブ』公開を前に『GQ』のZoomインタビューに応じてくれた。 まずは、「ジャーナリストとして保つべき客観性」という幻想を完全に打ち砕くところからはじめるとしよう──私は『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(以下、『エブエブ』)に夢中だ。物理的に可能であれば、できるだけ早く、映画館でこの映画を観てもらいたい。とにかく、今すぐに──なぜなら、熱狂するなかに多くが包み込まれているような、血湧き肉躍る、むちゃくちゃ面白い作品だからだ。アクション満載のSFスリラーに見せかけた、心揺さぶる家族のドラマであるこの作品を観ると、スリリングで、けむに巻かれるようなアクションシーンが持つ力を再認

    『エブエブ』で俳優復帰した『インディ・ジョーンズ』の元子役、キー・ホイ・クァンの多彩な人生
  • 劣悪な出版物と我々の責任

    世に英語(学習)関係のは実に多い。そして当然その質もいろいろである。残念ながら悪いものも沢山ある。 副島隆彦著『英文法の謎を解く』(1995年、ちくま新書)もそのひとつである。内容に嘘や間違いの多いひどいものである。さらにこのたびその続編の 『続・英文法の謎を解く』(1997年、ちくま新書)が出版された。やはり内容は劣悪である。 悪いものにはそれなりの毅然とした対応をしなければならない。断固糾弾し、駆逐すべきである。言うまでもなく、これは言論の自由に矛盾しない。何を言っても自由だからというので差別的発言を続けることは許されないのと同様、嘘に満ちたは排除されて当然である。 どこがどう劣悪なのか。お話にならぬほどひどい。まず話題の中心である英語が無茶苦茶である。『英文法の謎を解く』では、「a English」(15 ページ)、「変換可能( compartible, コンパーチブル)」(27

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    userinjapan 2022/11/05
    副島隆彦著『英文法の謎を解く』
  • 日本郵政社長に西川善文氏 - 依存症の独り言

  • 《岩田明子氏が事件後初執筆》安倍晋三“暗殺前夜”の電話で口にした統一教会問題「私自身は…」 | 文春オンライン

    NHK政治部記者として、小泉政権の官房副長官時代から安倍晋三元首相の担当を務め、以来20年にわたり取材を続けてきた岩田明子氏。その岩田氏が事件後はじめて筆を執ったのが稿です。その日の夜、統一教会について岩田氏が問うと、安倍氏は言葉少なに……。月刊「文藝春秋」2022年10月号より「安倍晋三秘録(1)」の一部を掲載します。 ◆◆◆ 液晶には「安倍晋三」の4文字 その日、永田町からほど近いNHK千代田放送会館で原稿を書いていると、携帯電話が鳴った。液晶には「安倍晋三」の4文字。午後10時27分のことだ。 NHK政治部記者だった私が、安倍の担当になったのは2002年、小泉政権の官房副長官時代からである。以来20年にわたり取材を続けているが、ここ数年、特にコロナ禍では、電話でのやりとりが日課と化していた。多いときは1日に複数回、取材のために電話をかけるときもあれば、安倍が情報収集や雑談するた

    《岩田明子氏が事件後初執筆》安倍晋三“暗殺前夜”の電話で口にした統一教会問題「私自身は…」 | 文春オンライン
  • 「通俗作家など…」“批評の神様”小林秀雄は、なぜ“大衆作家”菊池寛を頼るようになったか | 文春オンライン

    小林秀雄と菊池寛。二人の知られざる「敬意と絆」の物語――。9月7日、著書「小林秀雄の『人生』論」で山七平賞奨励賞を受賞した文芸批評家・浜崎洋介氏による「小林秀雄と文藝春秋」の一部を転載します(文藝春秋2022年10月号より)。 ◆◆◆ 菊池寛が好きだった「我事に於て後悔せず」の真意 小林秀雄の代表的エッセイの一つに「私の人生観」がありますが、年譜を見ると、それは小林が戦後初めて取り組んだ纏まった仕事だったことが分かります。 昭和23年11月10日、新大阪新聞社主催の講演会で「私の人生観」を講演した小林は、その翌年、それに修正を加えたものを『文學界』(7月)、『新潮』(9月)、『批評』(9月)に分載し、さらに加筆したものを、同年10月『私の人生観』として創元社から刊行します。 ということは、文庫で80頁にも満たない講演録の修正に、小林は、およそ1年間を費やしたことになります。実際、後に、

    「通俗作家など…」“批評の神様”小林秀雄は、なぜ“大衆作家”菊池寛を頼るようになったか | 文春オンライン
  • スピーチ技術からみた安倍演説 「4つの意味を詰め込んだオープニングは見事」 ニュースイッチ by 日刊工業新聞社

    4月30日安倍総理がアメリカ議会でスピーチを行いました。 その評価について、歴史に残る名スピーチだ、 アメリカにおもねりすぎていて気持ちが悪いなど、やはり賛否両論があります。 内容の善し悪しについては、立場によって異なると思うので、私は内容については触れず、スピーチライターという実際にスピーチを作っている立場から、このスピーチは技術的にどういうものだったのかについて考えたいと思います。 【アメリカと一体化するほどの共感を】 スピーチを作り始めるとき、明確な目的が必要になります。政治であれば具体的な法案を可決することや、票を集めること。ビジネスであれば、売り上げを上げることや、部下の士気を高めることなどです。目的が曖昧なスピーチは、言葉のまとめ方が曖昧になり、説得力を出していくことがとても難しくなります。 今回の安倍総理のスピーチは、非常に明確な目的を持っているように感じました。それは、アメ

    スピーチ技術からみた安倍演説 「4つの意味を詰め込んだオープニングは見事」 ニュースイッチ by 日刊工業新聞社
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    userinjapan 2022/09/13
    安倍晋三 2015年4月30日米議会演説
  • 横山やすし-昭和最後の芸人の幼少期を訪ねる

    横山やすしの故郷を訪ねるやっさんの故郷は大阪府堺市ということは、すでに述べました。 さて、彼が少年時代を過ごした地域は、今どうなっているのか。 『驚きももの木20世紀』では、彼の故郷としてこんな映像が流れていました。 上の映像の後、右方向へアングルがゆっくりと変わっていき、 木村家、やっさんが生まれ育った家が映っていました。 この光景に、私は自然にニヤリとしてしまいました。ここ、めちゃ知ってるわと。 堺出身とは前々から知っていたものの、ここだったのかとこちらが驚きでした。まるでやっさんがあの世から、「お前も堺出身か、ほんだら俺をブログネタにせい」と言ってくれているかのようでした。 映像ではこのシーンと共に、「今もやすしさんの育った家が残っています」とナレーションされていたのですが、何せ20年以上前の番組です。20年も経てばさすがに残っていないだろう。でもとりあえずこのシーンの場所へ向かって

    横山やすし-昭和最後の芸人の幼少期を訪ねる
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    userinjapan 2022/09/01
    大阪府堺市神石市之町
  • ある勇敢な女性の肖像──ウクライナのファーストレディ、オレナ・ゼレンスカ。

    ウクライナの大統領夫人、オレナ・ゼレンスカにUS版『VOGUE』がインタビューした。祖国の精神的支柱として役割を果たす彼女の決意とは。 戦時下のファーストレディの生き方には台がない。だからオレナ・ゼレンスカは自らそれを書くしかない。 ウクライナ大統領ヴォロディミル・ゼレンスキーの、ゼレンスカ(スラブ系言語では姓に性別がある)。長年コメディ作家として活躍してきた彼女は、いつも舞台裏にいることを好んできた。夫がコメディアンから政治家に転身し、大統領となり、西側諸国の命運を左右するかもしれない立場になっても、それは変わらなかった。しかし2月24日、ロシアウクライナに侵攻して以来、彼女は突然、悲劇のヒロインになってしまった。 私は雨の降る午後、空襲警報が鳴り響く中でも、カフェが営業しているキーウの街で彼女に会った。輝く顔と茶色がかった緑色の瞳には、現在のウクライナに渦巻くさまざまな感情が映し

    ある勇敢な女性の肖像──ウクライナのファーストレディ、オレナ・ゼレンスカ。
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    userinjapan 2022/07/31
    ウクライナ ゼレンスキー夫妻 ヴォロディミル・ゼレンスキー オレナ・ゼレンスカ
  • 安倍晋三元首相が中国を翻弄した秘策「狂人理論」

    安倍晋三元首相の突然の死により、その外交手腕があらためて注目されている。これから「安倍外交」はさまざまな角度から検証されることになるだろう。しかし、今後の日外交についてどういう戦略を持っていたかを人が語る機会はもうない。安倍氏に外交・安全保障について定期的にレクチャーしてきた識者に、日外交の最大の課題である対中関係にフォーカスして安倍氏の外交構想を描き出してもらった。 「どうも安倍晋三です。アメリカにある中国人女性の『愛人村』と『妊婦村』のルポはとても衝撃的でした」 2016年8月、ワシントン特派員をしていた筆者の携帯が鳴った。電話の向こうは、安倍晋三首相(当時)だった。リオデジャネイロ・オリンピックの閉幕式に出席した帰路、トランジットで立ち寄ったロサンゼルスの日総領事館から連絡をもらった。 安倍氏は閉会式で、任天堂のゲームキャラクター、スーパーマリオになって登場するというサプライ

    安倍晋三元首相が中国を翻弄した秘策「狂人理論」
  • 徳川慶光 - Wikipedia

    德川 慶光(とくがわ よしみつ、1913年(大正2年)2月6日 - 1993年(平成5年)2月6日)は、日の官僚、政治家、陸軍軍人、華族(公爵)。江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜の孫。通称は「けいこう」。新字体で徳川 慶光とも表記される。 生涯[編集] 1913年(大正2年)2月6日、公爵徳川慶久と有栖川宮威仁親王の第二王女・實枝子の長男として東京府東京市小石川区第六天町(現:東京都文京区小日向)の屋敷で生まれた。お印は雁[1]。赤ん坊の頃、祖父・慶喜の膝に抱かれ、おもらしをしたことがある。 1922年(大正11年)に父が急死したため、10歳で襲爵。伯父の侯爵・池田仲博が後見人となった。学習院から東京帝国大学文学部支那哲学科に進んで中国哲学を専攻し、卒業後は宮内省図書寮に勤務した[2][3][4]。学習院時代の補導役は元海軍少将の森電三が務めた[5]。1938年(昭和13年)10月5日には

    徳川慶光 - Wikipedia
  • ナチス迫害から逃れたユダヤ人救った樋口中将 顕彰する銅像 米戦略家らが建立委員会設立

    第2次世界大戦直前、ナチス・ドイツの迫害からユダヤ人を救った陸軍中将、樋口季一郎(明治21年~昭和45年)の功績を顕彰する銅像を樋口の出身地、兵庫県南あわじ市などに建立する計画が進んでいる。12日までに孫の明治学院大学名誉教授の隆一氏を代表とする銅像建立委員会が設立された。 設立委員には、南あわじ市の守憲弘市長や戦略論研究で世界的権威の米歴史学者であるエドワード・ルトワック氏らが名を連ね、来年秋、南あわじ市の伊(い)弉(ざ)諾(なぎ)神宮などに銅像建立を目指し、5月に一般社団法人を設立し、約2000万円の寄付を募る。 樋口中将はハルビン特務機関長だった昭和13(1938)年、ナチスの迫害を逃れソ連を通過してソ連・満州国境に逃れながら立ち往生していたユダヤ難民を満州国に受け入れ、脱出ルートを開き、救出人数は2万人とされている。 この2年後の40年、リトアニアのカウナスで杉原千畝領事代理が命

    ナチス迫害から逃れたユダヤ人救った樋口中将 顕彰する銅像 米戦略家らが建立委員会設立
    userinjapan
    userinjapan 2021/04/12
    陸軍中将 樋口季一郎(明治21年~昭和45年) エドワード・ルトワック 兵庫県南あわじ市
  • 「お金は社会に還元して死ぬ」――「暴走族」安藤忠雄79歳、規格外の人生 - Yahoo!ニュース

    異端の建築家、安藤忠雄。大阪の下町に育ち、17歳でプロボクサーとして活動したのち、独学で建築の道へ。大阪を拠点に世界で活躍する。「学歴も社会基盤も、特別な才能もない。困難ばかり。ひたすら全力で生きるしかなかった」。今年、79歳。がんで5つの臓器を摘出するも、いまだ現役だ。一心不乱に生きること、不屈の精神を語る。(取材・文:塚原沙耶/撮影:殿村誠士/Yahoo!ニュース 特集編集部)

    「お金は社会に還元して死ぬ」――「暴走族」安藤忠雄79歳、規格外の人生 - Yahoo!ニュース
  • 社会→自民→維新で当選9回  “昭和”を知る政治家の密かな引退 | 文春オンライン

    議員になったのは平成元年 ©共同通信社 政府による緊急事態宣言発令の行方に関心が高まっていた4月2日、日維新の会の谷畑孝衆院議員(73)がひっそりと国政から姿を消した。 「4月1日に辞職願を提出したのですが、維新側はその理由を『体調不良』とだけ説明。谷畑氏は1年以上登院しておらず、重病説も飛び交いましたが、側近らは『少し物忘れがある程度で心配ない』とその度に打ち消していました。ただ、大阪で入院生活を送っていることは確かで、闘病のせいか、かなり痩せてはいるそうです」(維新関係者) 谷畑氏は1989年の参院選で旧社会党公認として大阪府選挙区から出馬し、トップ当選。96年に自民党に移り、衆院議員に鞍替えして8回の当選を果たしたベテランだが、彼の政治活動の歩みは、部落解放同盟の“ドン”と言われた上田卓三元衆院議員の存在を抜きには語れない。 「谷畑氏は上田氏の元秘書で、部落解放同盟の推薦を受けて政

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    userinjapan 2020/04/23
    谷畑孝 上田卓三
  • 筒井 伸輔 / TSUTSUI Shinsuke – MIZUMA ART GALLERY

    2020 ミヅマアートギャラリー/東京 2014 ミヅマアートギャラリー/東京 2010 ミヅマアートギャラリー/東京 2007 ミヅマアートギャラリー/東京 2006 Disco/横浜 2005 ミヅマアートギャラリー/東京 2003 ミヅマアートギャラリー/東京 2001 ミヅマアートギャラリー/東京 2000 ミヅマアートギャラリー/東京 1998 ミヅマアートギャラリー/東京 1997 海文堂ギャラリー/兵庫 ミヅマアートギャラリー/東京 1996 ミヅマアートギャラリー/東京 1995 「HIDE AND SEEK part.2」 ミヅマアートギャラリー/東京 モリスギャラリー/東京 1994 モリスギャラリー/東京 フタバ画廊/東京 1993 フタバ画廊/東京 2019 「Hopes & Dialogues in Rumah Kijang Mizuma」 Mizuma Gall

  • 北方少数民族資料館ジャッカ・ドフニ【コラムリレー第27回】

    網走には数年前まで、北方少数民族資料館ジャッカ・ドフニがあった。網走川が大きく蛇行した大曲とよばれる地域に、丸太を組んだような建物と、その脇の白いテントがひっそりとたたずんでいた。 北方少数民族資料館ジャッカ・ドフニ(以下ジャッカ・ドフニ)は、樺太(サハリン)に暮らしてきたウイルタ、ニブフ、樺太アイヌの資料館である。なおジャッカ・ドフニとは、大切なものを収める家を意味するウイルタ語である。 日露戦争後のポーツマス条約(明治38年/1905年)でサハリン島の北緯50度以南は日領に、以北はロシア領にと決められた。そして日領となった範囲にたまたまいた少数民族は(樺太アイヌの事情は異なる)それ以降日の影響を強く受けることになった。 樺太アイヌをのぞく少数民族の多くが、敷香(現在のポロナイスク)郊外のオタスとよばれた地域に暮らすようになり、オタスには少数民族の子弟を教育する学校も作られた。若者

    北方少数民族資料館ジャッカ・ドフニ【コラムリレー第27回】
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    userinjapan 2020/02/07
    ダーヒンニェニ・ゲンダーヌ(日本名:北川源太郎、ウィルタ語名:Dahinien Gendanu / Daxinnieni Geldanu, 1926年頃 - 1984年7月8日)
  • 北川アイ子さんとジャッカ・ドフニ | mojabieda Blog

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    userinjapan 2020/02/07
    ダーヒンニェニ・ゲンダーヌ(日本名:北川源太郎、ウィルタ語名:Dahinien Gendanu / Daxinnieni Geldanu, 1926年頃 - 1984年7月8日) 北川アイ子
  • 8月15日、ゲンダーヌさんのことなど - 土取利行・音楽略記

    8月15日、テレビは昼夜を問わず北京オリンピック一色で、終戦記念日の番組もわきに追いやられたかのような状況。そんな中、この日の中日新聞に、太平洋戦争の犠牲者としてあまり知られていない北方少数民族のことが特報として書かれていた。 「旧日軍が徴用   サハリン少数民族の悲劇」という見出しで、太平洋戦争時の旧樺太(現ロシア・サハリン)で旧日軍特務機関や憲兵隊として従事させられてきた北方少数民族のことが取り上げられており、その犠牲者の一人であるウィルタ民族のゲンダーヌさんのことが紹介されていた。ゲンダーヌさんは、戦時中に日旧樺太庁が建てられていた敷香町郊外(現ロシア・ポロナイスク市)のオタスの杜に周辺少数民族と一緒に集められ日教育によって同化を強いられ、戦時中は旧陸軍特務機関に徴用され、スパイ活動を理由に旧ソ連の軍事法廷で八年間の重労働を課せられシベリアに拘留。その後1955年に日に帰

    8月15日、ゲンダーヌさんのことなど - 土取利行・音楽略記
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    userinjapan 2020/02/07
    ダーヒンニェニ・ゲンダーヌ(日本名:北川源太郎、ウィルタ語名:Dahinien Gendanu / Daxinnieni Geldanu, 1926年頃 - 1984年7月8日)
  • ダーヒンニェニ・ゲンダーヌ - Wikipedia

    ダーヒンニェニ・ゲンダーヌ(日名:北川源太郎、ウィルタ語名:Dahinien Gendanu / Daxinnieni Geldanu, 1926年頃 - 1984年7月8日)は、樺太生まれのウィルタ(オロッコ)民族研究家・運動家である。ウィルタ民族。 第二次世界大戦中は特務機関員として日軍に協力した。終戦後はシベリアにて抑留され、帰国後は北海道網走市に移住して肉体労働で生計をつないだ。自民族の研究家として活動し、戦後ウィルタ運動のリーダーとして北方少数民族の復権運動に尽力した。その後彼の呼びかけにより網走に作られたウィルタ文化資料館「ジャッカ・ドフニ」の初代館長となった。ダーヒンニェニ・ゲンダーヌという名前は「北の川のほとりに住む者」を意味する。 経歴[編集] ゲンダーヌの生まれ育ったオタスの杜(敷香町) ウィルタの呪者の家系に生まれ長老であった義父北川ゴルゴロと同様に遊牧と狩猟で生

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    userinjapan 2020/02/07
    北川源太郎
  • 青山繁晴研究 - 青山繁晴研究

    青山 繁晴(あおやま しげはる、1952年7月25日 - )は、日政治家、参議院議員、安全保障および国家政策研究員、作家。前独立総合研究所代表取締役社長、近畿大学経済学部総合経済政策学科客員教授(国際関係論)、東京大学教養学部非常勤講師[注 1][1]。夫人は水産学研究者・水産学博士で、東京海洋大学准教授、同研究所取締役自然科学部長の青山千春、長男は同研究所社長の青山大樹[2]。

    青山繁晴研究 - 青山繁晴研究