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田原総一朗:批判ばかりで対案を出せない「戦後リベラル」の限界(2/5ページ):nikkei BPnet 〈日経BPネット〉
日本がまともに考えなければいけないとき 「悔恨共同体」とは、「この戦争はおかしいと思いながらもそれ... 日本がまともに考えなければいけないとき 「悔恨共同体」とは、「この戦争はおかしいと思いながらもそれを止めることができなかったという悔恨が、戦後の知識人の出発点だった」とし、そうした自責の念を共有する知識人の集まりのことである。 池田さんはこう指摘する。「悔恨は戦争体験とともに風化し、『否定の情熱』だった民主主義は制度化され、知識人はもとのタコツボに戻ってしまう。こうして悔恨共同体は消えたが、その劣化した『日本的リベラル共同体』は野党やマスコミなどの亜インテリに残った」 私は東西冷戦が終わるまでは「悔恨共同体」でよかったのではないかと考える。冷戦の最中は米国を中軸とする西側(資本主義陣営)とソ連を中軸とする東側(共産主義陣営)の対立があり、日本は世界の中でどう動くかを独自に考えることはできなかった。日米安保条約のもとで米国に守ってもらえばよかったのだ。 だが、冷戦が終わり、しかも米国が「世界
2015/04/24 リンク