エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
50年分裂から六全協まで
50年分裂から六全協まで 吉田四郎氏に聞く 聞き手 丸山茂樹 勝部元 原全五 伊藤晃 小森春雄 (注)... 50年分裂から六全協まで 吉田四郎氏に聞く 聞き手 丸山茂樹 勝部元 原全五 伊藤晃 小森春雄 (注)、これは、『運動史研究8』(運動史研究会編、三一書房、1981年)における、上記題名インタビューの全文(P.74~99)です。このHPに全文を転載することについては、吉田氏の了解をいただいてあります。転載にあたっては、伊藤晃氏、増山太助氏にも連絡をとり、了解をいただきました。 当時、主流派と国際派の比率実態は、専従70%対30%、党員90%対10%と言われています。現在の日本共産党・宮本党史は、当時のスターリン盲従・少数分派が、六全協後、党内指導権を逆転掌握するにつれて、宮本顕治の正当性をねつ造・歪曲する内容に変えられてきています。吉田氏は、主流派における志田派の中心幹部の一人でした。主流派側による、六全協までの日本共産党史として、このインタビュー内容は、貴重な証言となっています。これは、