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考え方とコミュニケーションに関するeririchan3031のブックマーク (14)

  • とある友人とのコト - Chikirinの日記

    今日は、15年もの付き合いになる友人について(人の許可を得て)書いておきたいと思います。 彼女は「相手の気持ちを読む」ことがとても苦手で、ものすごくはっきり言わないとこちらの意図を理解してくれません。 彼女といると、よくこういう感じになります。 友人「ちきりん、今度◯◯っていう映画に行こうよ!」 ちきりん「いいよ」 で、映画を観た後にお茶をしながら、 ちきりん「ねえ、今○○の展覧会やってるから今度いかない?」 友人「うーん、あんまり興味ないからいいわ」 同じコトは何度も繰り返されます。 お互いが関心を持つことに誘い、相手がそれに付き合う。 それにより双方の世界や視野が広まり、かつ、時間と空間を共にし続けることで経験や感動を共有でき、お互いへの理解が深まる。 結果として「昔つきあってた人が好きだった歌手やスポーツの大ファンに(自分も)なっていく」ことってあるでしょ? 友人であれ恋人であれ、

    とある友人とのコト - Chikirinの日記
  • なぜ「童貞」を笑いのネタにしてはいけないのか?|アメリカはいつも夢見ている|渡辺由佳里|cakes(ケイクス)

    cakesは2022年8月31日に終了いたしました。 10年間の長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。 2022年9月1日

    なぜ「童貞」を笑いのネタにしてはいけないのか?|アメリカはいつも夢見ている|渡辺由佳里|cakes(ケイクス)
  • 特定の属性を「不幸な奴」「人生オワタ」って決めつけるとコミュニケーション能力が下がる - シロクマの屑籠

    blog.tinect.jp リンク先はタイトルどおりの内容ですが、これは、子ども以外にも当てはまります。 「低学歴人生オワタ」みたいなことを思っている人は、もし、親族や友人の子どもが高卒や専門学校卒だったら、どうなっちゃうんでしょうか。あるいは仕事趣味の場で学歴が高くない人と知り合ったら、どうなっちゃうんでしょうか。 私が観察する限り、「高学歴でなければ不幸になる」「低学歴人生オワタ」って気で思い込んでいる人は、それが態度に現れたり、言葉の端々に滲み出たりするものです。そういうことを面と向かって言っていなくても、意外と心は見抜かれてしまいます。コミュニケーションを積み重ねるうちに、「この人は低学歴者を軽蔑している」という疑惑を持たれてしまうでしょう。 ということは、「低学歴人生オワタ」的なことを思い込んでいる人は、ただそれだけで、学歴が高くない人とのコミュニケーション成功確率

    特定の属性を「不幸な奴」「人生オワタ」って決めつけるとコミュニケーション能力が下がる - シロクマの屑籠
  • 真のコミュ症とは、初対面の人間とは割と話せる、が日を追うごとに気まずくなっていく人間を指す - 自意識高い系男子

    lifehack2ch.livedoor.biz 上の記事、完全に私のことだ、と思いました。私は、自分のことをコミュ障だと思っているのですが、それを最も痛感するのが「初対面の人間とは割と話せる、が日を追うごとに気まずくなっていく」という、タイトルのような症状が露呈してしまったときです。 普通、コミュニケーションというものは、初対面のときが一番緊張し、何度か会う中で信頼関係が産まれ、徐々に自然体でコミュニケーションをとることができるようになる、という段階を踏むのが一般的だと思います。 ところが、私の場合は逆なのです。初対面は、むしろ一番得意なのです。普通の人よりも積極的に話題を振り、ノリよく話を盛り上げ、笑いまでとれる。私は若いころ、ナンパなどしていた時期もあったのですが、そうした「一期一会」の場では、私はまるでリア充のように快活に、堂々と振る舞うことができ、いわゆる「お持ち帰り」の経験すら

    真のコミュ症とは、初対面の人間とは割と話せる、が日を追うごとに気まずくなっていく人間を指す - 自意識高い系男子
  • 「そんな○○ばかりじゃない。(自分みたいな)ちゃんとした○○もいる」とアピールすることについて - yuhka-unoの日記

    少年アヤちゃん @omansiru のピル(OC)に関するつぶやきと反響 - Togetter 上のリンク先の内容について、「そんな男ばかりじゃない。(自分みたいな)ちゃんとした男もいる」とアピールしてくる人がいたが、「そんな男ばかりじゃない」ことはもちろん知ってる。そして、当に「そんな男じゃない」男性は、上のリンク先のようなものを読んだら、まずピルを取り巻く問題について考えるので、「男が攻撃されている!」とも受け取らないし、わざわざ「そんな男ばかりじゃない」と言わないということも知ってる。 「こんなブラック企業があって、大変な目にあった」と話してるところに、「そうやって感情吐き出してるだけじゃ解決しないよ」「経営者にわかるように話さないと理解されないよ」などと言うことは無意味だ。 そして、「そんな経営者ばっかりじゃないよ!(自分みたいな)ちゃんとした経営者もいるよ!」とわざわざ言ってく

    「そんな○○ばかりじゃない。(自分みたいな)ちゃんとした○○もいる」とアピールすることについて - yuhka-unoの日記
    eririchan3031
    eririchan3031 2016/01/17
    何ともまぁ、モヤモヤを解消させてくれる記事だ!と思った。 ”そんな人ばかりじゃないよは“私は貴方より視野が広いですよアッピルぽくてモヤモヤしてたんだよな
  • 「あの人はメンヘルだから」論法と、それを認めない私について - シロクマの屑籠

    インターネット上では、以下のような論法をみかけることがある。 「あの人は精神科に通院しているから」 「あの人はメンヘルだから」 その言わんとしているところは、精神科や心療内科に通院しているから、格別の配慮をすべきだとか、コミュニケーションに注意を払いなさい、といったところだろうか。 こうした「あの人は精神科に通院しているから」「あの人はメンヘルだから」を私が耳にする機会が多いのは、私が精神科医なブロガーだからかもしれない。 しかし私はこの論法が受け入れられない。 だとしたら、精神科や心療内科に通院しているアカウントを見つけたらただそれだけで格別の配慮をし、コミュニケーションに注意を払え、ということだろうか?それでは対等なコミュニケーションなど望むべくもないのではないか? 診察室という場面で、主治医と患者さん、あるいは当直医と患者さんといった治療者-患者関係が規定されている場面ではこの限りで

    「あの人はメンヘルだから」論法と、それを認めない私について - シロクマの屑籠
  • ひとりの友だちと仲良くしすぎるとなぜか急に異常にそいつが嫌いになるんだけど : 【2ch】コピペ情報局

  • LOVE PIECE CLUB - 田房永子 - 未知との遭遇

    ※このコラムは表現上、「母」と「娘」という呼称で固定して書きました。 受験校、就職先、結婚相手などを母親に勝手に決められたり、世話などの行為の動機が「あなたのためよ」で終始している割にはこちらの要望は母親の言動に全く反映されなかったり、その為、母親に何をしてもらってもただ虚しいだけ、他人からは「それだけ母親にしてもらってありがたいわね」「恵まれてるわね」と言われ、自分でも「ありがたいと思わなきゃいけない」と強く感じ、必死でそう思おうとがんばっているのだがふと気を抜くと「母に感謝」なんて一切思っていない自分の気持ちに気づいたりする。そういう娘がいる。 母に抵抗を示すと母も反発をする。その母の反発が暴言を吐く、愚痴を言う、泣き言を言う、他人に言ってやるなどの脅しをする、などそれぞれタイプや状況は違っても、いつも母親に感情をねじ伏せられ母にとって都合のよいストーリーの中の登場人物として動くことだ

    LOVE PIECE CLUB - 田房永子 - 未知との遭遇
    eririchan3031
    eririchan3031 2015/06/09
    じゃりン子チエキーホルダーにはいろいろなものが詰まっていた。買うしかない。レジへと急いだ。 この文章の〆が凄くよかった。何気なく見ていたあのアニメ。今なら思う。子供はそこまでする必要がないという事。
  • 無意識に理想が高い人 - yuhka-unoの日記

    死にたくなるぐらいなら何々しろと言う人々へ。 上の増田のエントリとそのブコメを読んで、色々思ったこと。 私は、病や精神破綻を起こしやすい人は、無意識に理想が高い傾向があると思う。もう少し正確に書くと、人の認識している「普通レベル」が、実は一般的にはかなり高レベルで、その高レベルなことをしなければならないと思い込んでいるということだ。 だから、我侭というわけではなく、むしろその逆で、人は頑張りすぎるほど頑張っているのだが、人の認識では、自分は「普通レベル」に達することのできないダメ人間なんだと思い込んでいる。(ただし、その高い「普通レベル」を他人に押し付けると、他人をスポイルすることになり、我侭になってしまうが。) 私の場合は、気遣いと生真面目さについて、無意識に理想が高かった。『他人に対して気を遣って丁寧に接する母と、それができない私の話』で書いたように、家の外の人に対して気を遣い

    無意識に理想が高い人 - yuhka-unoの日記
    eririchan3031
    eririchan3031 2014/03/23
    これは生育歴や環境も関係やっぱりするのかな?
  • 大学生に見る若者の「承認」欲求の現在(難波功士) - 個人 - Yahoo!ニュース

    社会学のみならず、広く社会科学ないし人文学の世界において、ここ数年来、「承認」概念をめぐってはさまざまな議論がなされてきました。現代社会を語る上で、一種のキーワードとなっている観もあります(斎藤環『承認をめぐる病』日評論社、2013年参照)。たとえば、2008年に起きた秋葉原での無差別殺傷事件。家族と離れ、派遣労働者として職場を転々とする犯人が求めていたのは、他者からの「承認」であったと、しばしば語られてきました。そして、とりわけ彼の場合は、ネット上でのつながり――たとえ罵倒や冷笑であっても、何らかのレスポンス――を求めていたのだとも論じられました。 現代社会を生きる人々は、さらに言えば現在の若者たちは、それほど強く「承認」を求めているのでしょうか。 この問いに対して、私の中に解答はありません。ただ思うことは、いつの時代にも若者たち(まだ何者でもない者たち)は、周囲や社会からの承認を求め

    大学生に見る若者の「承認」欲求の現在(難波功士) - 個人 - Yahoo!ニュース
  • 以下本より引用 僕の知人によく交通事故を起こす男性がいた。彼は「自分..

    以下より引用 僕の知人によく交通事故を起こす男性がいた。彼は「自分は運が悪い」といつもこぼしていた。彼に事故の話を聞くと大抵の場合、彼は悪くないように感じられた。しかし、実際に彼の車に乗ったら、事故を起こす原因がよくわかった。例えば、彼は自分が直進しているとき、対向車が右折しようとしてセンターラインを超えても、まったくよけようとしない。直進する自分の方が優先車両だと思っているからだ。彼は「交通ルールを守ってさえいればよい」という考えの持ち主だったのだ。 だが事故を起こさない人はどちらが優先車両かということを考えつつも、危険を回避する運転もしている。だが、彼はそういうことをしない。その上で、自分と他の人の運転の差に気づかずに「自分は運が悪い」といっている。彼が自分の運を嘆いているうちは、交通事故をしょっちゅう起こすという運命は変わらないだろう。 だが、なぜ彼はそのような運転をしているのだろ

    以下本より引用 僕の知人によく交通事故を起こす男性がいた。彼は「自分..
  • Geekなぺーじ : 情報デリカシー

    この前、知人と一緒に「情報の暴露」に関して歩きながら話していました。 個人的な付き合いで知り得た情報を、人の了承無く、人の意図しない公開された場所で暴露してしまう人がネット上で増えているのではないかという話題でした。 そこで、「そういった点に関しての情報リテラシ教育も必要なのかも知れませんね」という発言をしたところ、「それはリテラシの問題ではない。むしろデリカシーの問題だ」と言われて、今までモヤモヤとしていたものが急に晴れた気がしました。 確かに、個人的に経験した「他人による嫌な暴露」は、情報リテラシが高いと思われる人によって行われていました。 「何をされると人が嫌がるか」という視点が欠けているというのは、リテラシというよりも、デリカシーだと言われると非常に納得できます。 リテラシが高くてデリカシーが無い人が怖い オフ会などで同席して最も怖いのは、情報リテラシが非常に高くてデリカシーが

  • あなたは本当にオタクですか?/オタクとサブカル、ヤンキーと体育会系 | ガジェット通信 GetNews

    今回はrootportさんのブログ『デマこいてんじゃねえ!』からご寄稿いただきました。 ※記事のすべての画像が表示されない場合は、https://getnews.jp/archives/248520をごらんください。 「リア充」と呼ばれる集団は、よく考えてみると二つのグループに大別できる。 一つは社会的な行動様式を持ち、高所得層にい込んでいるグループ。いわゆる「体育会系」だ。そしてもう一つは、ヤンキーと呼ばれる社会的アウトローのグループだ。近傍にはギャル・ギャル男・お兄など、やはり低所得~中間層をボリュームゾーンとする人々が存在している。彼らの違いはどこにあるのだろう。 また近年、オタクのライト化が進んでいるという。数十年前、オタクとは好きなモノを追求する日陰者たちのことだった。しかし最近では、流行りのアイテムに次々に飛びつき、コミュニケーションツールとして深夜アニメを消費する「軽いオタ

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  • 礼儀とは、相手を大人扱いするということ - yuhka-unoの日記

    相手が自分より年下だと知ると、初対面でもいきなり馴れ馴れしくタメ語で話しかけてくる人がいる。そりゃ、ある程度話して、親しくなってきたときにタメ語で話すのは、別に構わない。でも、いくら年が離れていても、大人同士なら、初対面でタメ語はありえないと思う。「お前は私の親じゃねーだろ」と思うね。それは、相手を大人扱いしてない、子供扱いしているということだ。そういう態度は、患者やお年寄りに対して赤ちゃん言葉を使うのが、優しく接することなのだと勘違いしている、看護師や介護師に似たものを感じる。 私が信頼を置いて付き合える年上の人は、そういうことをしない人ばかりだ。そして、そういうことをしない人は、私から見て、大抵ちゃんとした大人だ。逆に言うと、年下の人間を大人として扱えない人は、大抵「大人」じゃない。はっきり言って子供っぽい人が多いと思う。それは、自分が大人じゃないから、相手を大人として扱えないのだと思

    礼儀とは、相手を大人扱いするということ - yuhka-unoの日記
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