山中千尋がニュー・アルバム『ギルティ・プレジャー』をリリースした。これまではコンセプチュアルな作品が多かった印象の彼女だが、ジョン・デイヴィス(ドラムス)と脇義典(ベース)によるNYのレギュラー・トリオで作り上げた今作では、そこがはっきりと見えてこない。リズム・パターンもさまざまで、収録曲はヴァラエティーに富んでおり、そのなかにはどこか抽象的な楽曲もある。そうやって聴けば聴くほど、〈これはもしかして、ものすごく遊びのある異色作なのではないか?〉と思えてきた。現在はバークリー音楽院で講師を務めている彼女は、ジャズの歴史については言わずもがな、さまざまな音楽に広く深く精通している。以前、僕がカルチャー誌のために取材させてもらった時には、クラシックや現代音楽、ワールド・ミュージックまで話題は飛び交い、そのあとも映画やアート全般について縦横無尽に語ってくれた。『ギルティ・プレジャー』はもしかしたら
’14年12月から’15年11月まで聴いたアルバムの中から2015年ベスト3を決めるのですが、今年はもう組みあがっていて、決めるのにそんなに時間はかかりませんでした。個人的今年のトップも、これだ、というのがありましたし。今年は順位は個人的にははっきりしていて、以下の通りです。でも、どれもそれぞれ違った意味で、お腹いっぱいになるアルバムばかりですね(笑)。正統派4ビートじゃないし。 1.ソロピアノでこれだけのヴォリュームのものが出てきて、しかも5時間以上一気に引き込まれてしまったので、これをあげないわけにはいかなくなりました。 10 Years Solo Live/Brad Mehldau(P)(Nonesuch)(輸入盤) - Recorded 2004-2005, 2010-2011, 2013-2014. [CD1, Dark/Light] 1. Dream Brother 2. Bl
はじめにわたしの職場に、自他ともに認めるクラシック・マニアがいる。近・現代の作曲家は一通り聴いているというが、中でもお気に入りはスクリャービンで、携帯の着信音とアラームには「神秘和音」が設定してあるくらいだ。 その彼が、最近、急にジャズに興味を持つようになった。なんでも娘さんが部活でサックスを始めたのがきっかけらしい。彼の机には娘さんの小さいころの写真が立てかけてあるが、父親と血がつながっているとは思えないかわいらしさだ。パパだってジャズくらい分かるんだぞ、ということにしたいのかもしれない。 彼はわたしがジャズ・ギターを弾くことを知っている。音楽に関して(だけ)は寛容なので、各種イヴェントの際には有給を消化しても嫌な顔ひとつしない。 ある昼休みの会話「ちょっと私用なんだが」と彼は言った。「こんどの休みは空いてるか? お前の好きなジャズのCDを10枚くらい持ってきてくれ。うちのオーディオで聴
☆☆ トップページへ ☆☆ (当コンテンツでは、他のコンテンツとは異なる背景色と日本語・英語フォントを使用しています。) [本ページの最終チェック日 : 2021/2/11] (2012年3月18日アップロード) [ 2014年10月15日フォント修正版アップロード ] 今回は「NATO と数列」という話をしたい。これでピンと来た人はこの先を読んでも得るところはない。事実関係としてはそれ以外には出てくるものはないのだから。まあ、知らなかった人にも「得る」というたぐいの話ではないかもしれないが。 当然のことながら冷戦時代の軍縮の話ではないし、ましてや高等学校の数学の話でもない(これはあとで少し関係してくるが)。 このページに出てきそうなNATOといえばフランスのレコードレーベルの名前に決まっている。日本の事情に即して言えば、80年代のバブル絶頂期に、それにふさわしく?華やかで、そして、いかに
1965年4月、持病の股関節痛が悪化したマイルスは手術を受けますが、術後の経過は思わしくなく、手術した側の脚を骨折したり、人工関節につけかえたりして、結局、回復までに半年もの時間を要することとなります。 その間、バンドのメンバーたちは、ブルーノートのセッションなどで糊口を凌ぎます。早くも65年3月にはハービーが『処女航海』を録り終え、同年8月にはトニーが『スプリング』を、10月にはウェインが『ジ・オール・シーイング・アイ』をそれぞれ吹き込んで、ボスの帰還に備えます。 マイルスの復帰は11月、フィラデルフィアのショーボートから。ニューヨークのカムバック公演はヴィレッジ・ヴァンガードで行われ、ベースは都合のつかなかったロン・カーターに代わって、レジー・ワークマンがつとめています。12月の下旬にはシカゴに移動して、プラグド・ニッケルで2週間のステージを行っています(このときはロン・カーターも参加
以前怖い映像を見つけたということでこれをUPしました。 マルサリス兄弟をフロントに迎えたV.S.O.P.Ⅱです。 ここでのウイントンは凄いと思います。 私はこういうジャズの格好良さに惚れてジャズに嵌って行ったと書きました。 上の演奏の元になるものを見つけました。1967年のライブ。 映像があるとよく分かりますね。 これも怖い映像ですよね。この緊張感。 マイルス・クインテットのジャズ最高峰。 1967年には行き着くところまで行っちゃってたわけです。 マイルスのフレージングはウイントンにも確実に影響を与えてますね。 トニーのドラミングはここでも自由奔放。 ウェイン・ショーターはフリー・ジャズの領域にまで行っています。 ウェインを舞台袖から見守るマイルス。 このマイルスの目がこの演奏を生み出す根源なのです。 フリー・ジャズをやるというのではなく、 演奏を突き詰めていくとフリー・ジャズにまで至ると
今日は玄人さん好みの本格的なジャズを紹介、このアルバムはCDでは発売されていない。 80年代を爆発的に駆け抜けた、ジョージ・アダムス=ドン・ピューレン・カルテット。これにジョン・スコフィールドが加わった演奏はまるで炎の如く燃え上がる。私は過去の気に入ったLPをCDに買い直しているが、このカルテットの発売枚数が数枚なのが残念です。 85年頃であろうか、このカルテットが仙台に来た時見に行った。ドン・ピューレンに関しては、70年代の頃からセシル・テイラーのようなピアニストがいるということで注目していた。実物の演奏を見た時、思わずビックリ。テクニックも超一流、ピアノがビュンビュンと唸りを上げる。特に目にも留まらぬ背面弾きはもはや神業と言っても過言ではない。これだけでもこのコンサートに行った価値は十分あった。もちろん、ジョージ・アダムスの演奏も素晴らしかった。 1曲アップします。1992年のDON
岩手県陸前高田にあったジャズ喫茶「ジョニー」が地震・津波の 災害にて、36年間続けてきたお店が流されてしまいました。 私がまだ北海道で活動している頃、1977年~1978年に かけてこの陸前高田の「ジョニー」何度となく訪れました。 この訪れるきっかけは、、北海道で活動していて東北にも行きたいと 思い、デモテープを東北の何ヶ所かに送ったのですが、ほとんどが 興味を持たれなかったのですが、この陸前高田「ジョニー」のみ 興味を持ってくれ、すぐに電話をくれて、この陸前高田「ジョニー」の 企画で岩手県内6ヶ所のライブを行う事ができました。 これを機に、この2年間だけで数え切れないほど陸前高田に行き、 また「アヤのサンバ」「マイプレゼントソング」と2枚のアルバムも 作ってもらいました。 私の音楽活動の原点となったことは言うまでもありません。 東京に活動の場を移すきっかけも、このジョニーが 在ったからこ
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