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戦争に関するgetchaのブックマーク (5)

  • 「日本で戦争が起きる可能性ある」自民・麻生副総裁

    自民党の第三派閥麻生派が研修会を行い、会長の麻生副総裁は台湾有事を念頭に「日でも戦争が起きる可能性は十分にある」と指摘しました。 自民党・麻生副総裁:「少なくとも沖縄、与那国島、与論島にしても、台湾でドンパチ始まるということになったら、それらの地域も戦闘区域外とは言い切れないほど、間違いなく国内と同じ状況になる。戦争が起きる可能性は十分に考えられる」 また、ウクライナ情勢について「国連は全く機能しないという事態に陥っている。これが今、目の前に起きている国際政治の現実だ」とも述べ、安全保障政策について真剣に考えるべきだと強調しました。 麻生派の研修会は2019年以来、3年ぶりです。

    「日本で戦争が起きる可能性ある」自民・麻生副総裁
    getcha
    getcha 2022/09/01
    海岸線においてる原発なんとかしてよ。ウクライナで盾として使われてから何ヶ月経ってると思ってるの?口先だけじゃなくて実労働してほしい。
  • 黒柳徹子さん「戦争反対」なんて言えなかったあの頃 いつもおなかが空いていた幼少期 #あちこちのすずさん - 未来に残す 戦争の記憶 - Yahoo! JAPAN

    「どんなにいい考えを持ったり、希望を持ったり、才能があったりしたって、戦争があったら全部なくなっちゃう」 戦争で犠牲になる子どもたちへの思いを強く語る黒柳徹子さん。テレビ女優第1号となった1953年から、第一線で活躍を続けています。アジア初のユニセフ親善大使としては、世界中の貧困に苦しむ子どもたちを見てきました。(取材・文:NHK「#あちこちのすずさん2022」取材班/写真:NHK) 「戦争って泣いてもいけないんだ」 太平洋戦争が開戦した1941年、黒柳徹子さんは8歳。現在の東京・大田区に、両親と弟と暮らしていました。「戦争」は子どもだった黒柳さんの生活のあらゆるところに影を落としました。 ――幼いながら、どういったところから戦争を感じたのでしょうか。 「まずべ物がどんどんなくなっていくっていうことですね。ごはんでも何でも配給じゃないとものが売ってない。それから何を買うにもずっと並ぶんで

    黒柳徹子さん「戦争反対」なんて言えなかったあの頃 いつもおなかが空いていた幼少期 #あちこちのすずさん - 未来に残す 戦争の記憶 - Yahoo! JAPAN
  • 首相の被爆地あいさつが広島・長崎で酷似するのは仕方ないのか約25年分調べた|松本健太郎

    菅義偉官房長官は11日の記者会見で、広島と長崎の平和式典での安倍晋三首相のあいさつが酷似していたことに関し、やむを得ないとの認識を示した。「哀悼の気持ちや唯一の戦争被爆国としての立場を申し上げるのは両式典でどうしても同じような内容になる」と述べた。そんなアホな話あるかい。 と思いつつ、安倍首相に対する心理的嫌悪感だけで拒否反応を示すのは良くないと考えて、過去遡れる分だけ遡って広島・長崎の「被爆地あいさつ」文を比較してみました。 分析手法恣意的に判断するのは良くないと思い、なるべくロジカルに広島・長崎のあいさつ文のdiffを取りました。diff自体はこちらのWEBページで差分を見ています。 例えば2020年あいさつ文は以下のように表示されました。 左側が広島、右側が長崎です。 青いマーカー線は、広島(長崎)あいさつが長崎(広島)あいさつと比べて登場しなかった文章です。なるほど、2020年の安

    首相の被爆地あいさつが広島・長崎で酷似するのは仕方ないのか約25年分調べた|松本健太郎
    getcha
    getcha 2020/08/12
    どういうライターを抱えているか。というのもその政治家のキャラクターと信条だと思う。あと今回炎上したのは文章というより全体的な式典に挑む態度だと思う。
  • 特攻隊員の自爆機が敵に突っ込んでいく時、なぜ基地の無線で「最後の瞬間」を聞いていたのか | 文春オンライン

    パイロットが搭乗したまま航空機を敵艦に突っ込ませる特攻隊の「体当たり作戦」は、「私には、100パーセント死ぬ命令をだすことはできない」と語った海軍航空部隊の隊長がいたというほど、生還の望みをもてないものだった。 作家・保阪正康さんの著書『昭和史七つの謎と七大事件 戦争、軍隊、官僚、そして日人』(角川新書)より、特攻の始まり、そして特攻隊員たちの知られざる音について一部を抜粋する。 ◆ ◆ ◆ 特攻の始まり 初めて戦術としての組織的な特攻隊の出撃は、昭和19年10月25日。海軍の神風特攻隊である。 この年、各地の守備隊が次々玉砕するなど、戦況は著しく日に不利となった。軍事指導者たちの無能ぶりからなんら打開策が見いだせないまま、戦争はズルズルと泥沼に陥り、犠牲者をいたずらに増やしていた。その中から出てきたのが「体当たり攻撃」作戦だった。 まず海軍が、人間魚雷「回天」を開発した。もっとも初

    特攻隊員の自爆機が敵に突っ込んでいく時、なぜ基地の無線で「最後の瞬間」を聞いていたのか | 文春オンライン
  • 「震える少女」沖縄戦証言に圧力 見知らぬ男性、女性宅押しかけ非難 - 琉球新報デジタル

    米軍撮影のフィルムに映る震える少女(沖縄公文書館提供) 沖縄戦の記録映像で映し出される「震える少女」として紙に名乗り出た浦崎末子さん(82)の自宅を男性が訪ね、証言をとがめるような言葉を投げ掛けていたことが25日、関係者への取材でわかった。浦崎さんはこの一件以来、外部との接触を控えるようになったという。座間味村での「集団自決」(強制集団死)の証言者らにも同様の接触があったことも判明。沖縄戦の継承が課題になる中、証言を封殺する動きに識者は「証言者の萎縮、戦争の教訓継承の妨げになりかねない」と警鐘を鳴らしている。 浦崎さんの親族によると、浦崎さんの自宅に男性が現れたのは昨年8月ごろ。ドアを開けて応対した浦崎さんに「あなたが浦崎末子さんか」と尋ね、いきなり「どういうつもりか」と詰め寄った。 「震える少女は私」と浦崎末子さんが名乗り出たことを報じる2019年6月23日付紙は昨年6月23日

    「震える少女」沖縄戦証言に圧力 見知らぬ男性、女性宅押しかけ非難 - 琉球新報デジタル
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