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災害に関するharattacaのブックマーク (1)

  • 和村幸得 - Wikipedia

    和村幸得の顕彰碑。彼の建設した普代水門の前に建つ(2013年5月31日) 和村 幸得(わむら こうとく、1909年2月21日 - 1997年10月18日[1])は日政治家。 人物[編集] 岩手県普代村出身。盛岡中学(現岩手県立盛岡第一高等学校)から慶應義塾大学に進むが、健康を害して中退、普代に戻った[1]。 1933年、普代村で約600人の死傷者を出した昭和三陸地震の津波を体験した。後に著した回想録『貧乏との戦い四十年』では「阿鼻叫喚とはこのことか。堆積した土砂の中から死体を掘り起こしている所を見た時にはなんと申し上げてよいか、言葉も出なかった」と述懐している。 普代村役場で働いたのち、1947年に村長選挙に出馬して当選し、以後1987年まで10期40年に亘り務める。村長在任中には三陸鉄道開業を記念して「おれの北緯四十度」(作曲:船村徹、歌:鳥羽一郎)の制作を指揮した[1]。また、大津

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    harattaca
    harattaca 2011/05/18
    今回の大津波から村を守った普代水門を、周囲の反対を押し切って築いた信念の人。この事は安易に公共事業の賛否を決めることの難しさも象徴している。
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