過去の記事で言及したように、貧困は人の努力を許さない。それを「努力が足りないからだ」と非難するのはあべこべだ。 「自炊の方が安く済むのに自炊をしないのは甘えだ」と言う人がいたとする。 ええと、自炊の方が安く済むってのは野菜やら肉やら生鮮食品を、少量からではなくある程度一定量を買って、それを保存できる環境下で、ですよね?? ニンジンを買うとして。一本ずつより三本ずつの方が、普通は一本あたりの値段は安い。けれど、一本ずつより三本ずつの方が、一度に出さなくてはいけないお金は多いのである。みんながみんな「一本あたり」を考えられる環境にあるとは限らない。ニンジンの一本あたりの安さより、すぐに食べられる菓子パンの特売に飛びつかなくては生きていけない人もいる。 百歩譲って、三本が一パックのニンジンを買えるだけの余裕があったとする。けれど、一人暮らしで三本のニンジンを、一日のうちに使い切ることはあまりない
どこまでが自己責任か自己責任という言葉は便利です。所得が低いのは本人の努力不足だ、こんな苦境からでも成り上がった人はいる等……この論理を振りかざすと、一定の賛意があり、弱者に対して手を差し伸べなくてもいい理由づけになります。 しかし、本当に所得が低いのは本人だけのせいでしょうか?ケースバイケースですが、とりあえず「隙あらば自分語り」します。 私の場合私の父親は私が小学校に入る前に心臓病が発覚し、家族はパートの母の収入に頼る貧困世帯になりました。 父は苦労して大学院を修了し、研究職に就いて頑張っていました。当然職も失い、いつ死ぬともわからない障害なのでどこも雇ってはくれません。 そんな家庭で育った私が、大学を卒業し大企業に就職できたのは誰のお陰でしょうか?私も確かに努力しました。でも、その努力ができたのは私だけの力ではありません。 父も、私立高校に進学したいという私の願いを聞き入れてくれ、進
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